本棚を片付けていたら古い雑誌が出てきた。1990年の5月号CQ hamradioである。この号の特集がアウトドア ライフで、当時所属していたキャンピングクラブが取材を受け、仲間たちが記事を執筆したものだった。
キャンピングクラブでは無線を活用していた。携帯電話は1970年から登場していたのだが、1990年の携帯電話の人口普及率は0.6%とまだ一般的ではなかった。オートキャンプを趣味とする仲間たちは、関東の各地に住んでいて月に何回かはキャンプ場に集まっていた。各地から集合したり、キャンプサイトを探したりするとき互いに連絡を取り合う必要があったのでそれぞれの車には無線機を積んでいたのだ。本来のアマチュア業務とは少し意味合いが違うのだが、移動による伝播実験という名目で連絡を取り合っていた。無線のための移動というより、移動のための無線という意味合いが強かった。それでも全員アマチュア無線技士である。効率よく電波を飛ばすためにアンテナなどのさまざまな工夫をしたりしていた。運用面でも、車で移動する局同士が繋がらなくなると、間に固定局を挟んで中継し、情報を交換しながらキャンプ地に行き着いたこともあった。
そんな活動をしていたクラブに取材要請が来たのだ。キャンプ場にさまざまなアンテナが建てられ、移動運用のシャックが作られた。アウトドアライフを楽しみながら編集者との打ち合わせや撮影をし、焚火を囲んで無線談議に花が咲いたのを覚えている。
当時のキャンピングクラブではキャンプに行かない日でも夜な夜なオンエアーミーティングが開かれていた。各地に広がるクラブ員がある周波数に集まり、情報交換をしていた。今ではリモート会議と言われるものの音声版である。同時に複数の人が話を聞くことができるので、必要な時に発言をし、あとは聞いているというスタイルだった。
しかし、携帯電話が普及してくると、車での移動中の情報交換も携帯電話が使われるようになり、クラブでの無線の使用は少なくなっていった。そして、私はマイクが電鍵やパドルに替わり、アマチュア無線の本体の姿である交信を通して電信の技能向上や機器の改良、アンテナなどの製作実験などが多くなっていった。
アマチュア無線を楽しむ人々の数の変遷を見ると、情報交換のツールとして一時期爆発的な増加をみたが、その後携帯電話の普及とともに減少が続いていた。それが最近になって増加傾向にあるという。アマチュア無線は携帯電話と違い、スタンドアローンで運用することができ、また、同時に多くに人に情報を伝えることができることが防災にも役立つと認識されてきたからだという。そして再開局された人の中に電信に興味を持たれる方が結構いるという話も聞く。無線通信の元祖ともいえる一番シンプルな、電波を断続することで情報を交換できる電信がアマチュアの世界で更に息を吹き返してくることをを願っている。
30年前の雑誌を見つけて昔を懐かしんだのだが、ネットの活用など新しい分野が広がってきていても根本的な楽しさは変わっていない感じだなぁ。