XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

通信手段

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手作り電鍵


 新型コロナウィルスが猛威を振るっている。このような状況の中で娘が入院することになった。感染したからではない。慢性の症状があり、症状の推移を見ながら手術の日が決まっていたのだ。しかし、このような状況で病院は「見舞い」の制限を掛けている。手術に立ち会うのは親族一人のみという。外部からの感染をとても警戒しているのだ。
 私は手術の時、娘の近くにいたいので病院に行くつもりだったが、娘からきつく拒否された。「病院こそ感染の危険が高いところなのだから、感染したらどうするのだ」と言うのだ。「絶対来ないでほしい」と言う。仕方なく病院へ行くことはあきらめる。
 手術当日、娘からメールが来た。「これから看護師さんか迎えに来て、手術室に入る。麻酔から覚めて体が動かせるようになったら連絡する」というものである。手術そのものは数時間で終わるようだ。何かあれば病院から連絡をくれるよう手配してある。しかし、心配である。メールを待つしかない。
 朝、手術室に入ったのだが、昼を過ぎても連絡がない。病院からの連絡がないので無事に手術は終わったと思われるが落ち着かない。「昼前に手術は終わりました」やっとメールが来た。一安心。麻酔から覚めて携帯の操作ができるようになるまで時間がかかったようだ。
 新型コロナウィルスへの対応ということで、隔絶した状況での娘の手術だったが、メールという連絡手段があったことで少しは状況がつかめ、安心することができた。
 病室という特殊な状況では電話ではなくメールが有効だった。電話の方が情報量が大きいのだが、メールという文字情報だけでも大変ありがたかった。その後、酸素マスクをした自撮りの写真が送られてきて、表情から無事を確認することができさらに安心することができた。

 

 通信はより多くの情報が送れる方がよいのだが、状況によっては限られた情報だけでも役立つものである。今では様々な通信インフラが整備され大容量の情報が行き交うのが当たり前になっている。しかし、それらのインフラが途絶した場合にも、最小限の通信手段を残しておくことが必要である。
 かつて、電話が一般に普及していなかった時代、電報がその役割を担っていた。そしてその電報を伝えていたのが電信であった。電信は短点と長点の組み合わせという単純な仕組みで文字を送ることができる。通信手段として大変シンプルなものである。通信インフラが途絶しても、個別の無線機があれば通信回線を構築可能である。近距離であれば光の断続でもモールス符号を送ることができる。その仕組みが単純だからこそ最後の手段として役立つと考えられる。
 通信は緊急時、重大な局面にこそ重要である。娘の手術という場面でメールが使えたことで心を落ち着かせることができた。
 災害対応への備えとして様々な対策が考えられる中でモールス通信という一番シンプルな方法も残していきたいものである。


 とは言っても、日々の電信での交信は自己研鑽の楽しさと小電力やコンパクトな設備でも繋がることへの面白さにのめりこんでやっているのが実情なのだが。