XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

飛騨の円空展

円空仏

東京国立博物館で「千光寺とその周辺の足跡 飛騨の円空」という特別展が行われている。久しぶりに上野を訪れた。以前フェンスに覆われていた工事中だったところがすっかりきれいに整備されていた。京王口から国立博物館へと公園を進んだのだが、東照宮の前あたりまで来ると目の前に博物館がどんと見えてきた。これまでの噴水などが整理され、空が広がって見通しがよくなっていた。広い空間の向こうに博物館の建物が広がっている。
これまではJR公園口から動物園への通路と、今歩いてきた博物館への通路が交差するところが目立っていて、そこを目印に東京都美術館への道を見いだしていた。しかし、これだけメインストリートが整備されると、公園口からの通路があまり目立たなくなり動物園が道のすぐ脇にあるように感じる。また、東京都美術館の建物全体が見えるようになりこれも道から近くなったように感じる。
広くなった空間から受けるイメージが周りにある国立博物館や科学博物館、都美術館や動物園などを一体化させ、ゆったりした気分にさせてくれる。この空間は非常時にはヘリコプターのポートにもなり、人々の避難場所としても活用されるのだろう。新たな装いになった上野公園である。

美濃の国に生まれた円空は位の高い僧ではないようだ。しかし、修行を積む中で生涯に12万体を造像する願を立て、さまざまな場に像を残している。その独特の造形は一目で円空と思えるほどの特徴がある。
現在でも5000体ほどの円空仏が残されているが今回の特別展には千光寺やその周辺の100体が集められていた。
中でも両面座像にはたくさんの方が集まっていた。飛騨地方には「身のたけは十八丈、一頭に両面四肘両脚を有する救世観音の化身であり、千光寺を開いた」との伝承があるという。この宿儺像は他の像に比べて台座部分を含めて入念に手が加えられている。異形のものとして征服されたとの存在だが、飛騨の人々にとっては信仰の対象になるものだったのだろう。
近畿以西にはその足跡は残されていないようだが、日本各地に円空仏が残されている。修行の途中で一夜の宿を借りた際にお礼として残していった像も多いようだ。迦楼羅や神像など多岐にわたる作品群だが、円空仏の魅力はなんと言っても荒削りな鑿の跡と簡略化された造形だろう。今回も三十三観音立像が展示されていたが、その何ともいえない笑みをたたえたようなお顔が印象的である。鼻はなく、目も眉も一本の線であり、口はアヒル口のように彫られている。合掌をしているのだろう両手は身体の前で衣に隠され、身体全体にもほとんど衣の装飾はない。短時間に大量に作られたもののようだが、その大きさはまちまちであり、像を造るために製材したのではなく、まず木片があり、それを生かして像を造ったものように感じる。作るものに重点が置かれているのではなく、作ること自体が大事だったのだろう。宗教者としての円空のあり方が見えるようである。
美濃の国の山奥にあるの高賀神社 円空記念館を訪ねたとき、そこに展示されていたのは地域の小学生が彫ったという仏像だった。小さな木っ端を彫り、それぞれの願いを込めたという小さな像である。また、円空が没したという関の弥勒寺には信者が彫ったという仏像が奉納されていた。どれも彫刻の優劣ではなく像を彫るという行為の中に大事なことがあったのだと思う。
白隠円空など地域や民衆の中に生きた宗教者がその残した作品を通して見直されている。作品のユニークさもすばらしいが、それを通して知ることのできる生き方に強く惹かれるのである。