XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

減災への備え

shig552011-01-17

 16年前の1995年、朝5時46分阪神淡路大震災が発生した。東京ではそれほどの揺れは感じなかったと思う。朝食のときに映っていたテレビの画面を今でも覚えている。上空から撮った映像で神戸の街に幾筋もの煙の柱が立ち上っていた。「何の映像なのだろう」とはじめは状況がつかめなかった。時間が経つにつれて現地の被害状況がだんだんに明らかになり、大変な災害が起こったということが分かってきた。
 関東大震災の話は幾度となく聞いていたが、現実にこのような大きな災害が起きることは考えていなかった。何よりもニュースとして伝わってくることの時間差が印象的であった。被害が大きかったからこそ、現地の状況はなかなか伝わってこないのだ。考えてみれば当たり前のことではあるが、大規模災害の実態を実感させられた側面である。この震災で亡くなられた6400名あまりの方々のご冥福を祈りたい。合掌

 災害は思いもよらない状況で発生する。東海地震はますます発生の危惧が高まっているという。いくつもの地震が同地多発的に発生する可能性も指摘されている。その備えとして、広域援助体制が組まれ被災地への支援が迅速に行われるよう対策が立てられている。しかし、広範囲が被災した場合にはこのような体制も機能するのには相当な時間がかかることが予想される。数日のタイムラグは避けられないであろう。
 大規模災害に対してはまず、自分自身が被害を最小限にする備えが第一である。自分が怪我をしたり、家族が怪我をしたりしては他の人の手助けをすることもできない。阪神淡路震災で亡くなったり怪我をした方々の8割が建物の倒壊や家具の転倒によるものであったという。家の耐震対策となるとなかなか大変であり、新築時の構造設計に頼ることになるが、家具などの固定はある程度の対応は可能である。我が家でも家具を金具で壁に固定したり、テレビと壁をテープで結んだり、吊り戸棚の扉が開かないようにカギを付けたりしてきた。実際の揺れに対してどの程度効果があるかは不安もあるが、備えは進めている。
 怪我もせず大きな揺れを乗り切ったとしても、ライフラインや物流が止まってしまうと考えられる。最低限の食料や水、医薬品の備蓄は必要である。備蓄はため込んでしまうと期限切れになって必要なときに使えないこともあるので、ローテーションで使うようにし、常にある程度のものがストックされているようにしている。備蓄というよりも日常生活の中で多めに家に置いておくような対応である。さすがに生鮮食料品はたくさん置いておく訳にはいかないが、冷凍食品や常温保存の食品は日々使う量より多めに収納している。くるま旅を楽しんでいるので車の中にも一通りの食料、水、寝具、衣料、医薬品などを入れてあり、旅行の楽しみと共に備蓄ともなっている。
 自助、共助、公助ということが言われている。被災した当初は自助・共助に頼るしかない。消防や警察などの機関が機能するのをあてにするのは無理だと考えている。そのための個人でできる備えを日々の生活の中で進めていきたい。そのことが減災につながっていくと考えるからである。