XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

楽観バイアス

 マヤ暦で示されている暦が今日で終わりになるので、「滅亡の日」と言われているのだそうだ。以前から世界が終末を迎える日として話題になっていたが、とうとう今日がその日となった。「ロシアの大統領が地球の滅亡は45億年先」という談話を出したり、終末論を説く宗教団体の人々が一斉に逮捕されたり、マヤの遺跡にたくさんの人々が押し寄せたり、世界ではいろいろな動きがあったようだ。
 今日は冬至でもある。太陽が黄経の270度に達する時で、北半球では太陽高度が一年で一番低く、昼の長さが最も短い日である。日本ではカボチャを食べ、ゆず湯にゆっくり浸かって寒い冬を乗り切り、新しい春へと向かう日である。
 
 テレビを見ていておもしろい言葉に出会った。「楽観バイアス」という言葉である。
 生き物は生まれたときに、既に死が決められている。限られた時間の生命であることは自明のことである。人間とて例外ではなく、誕生の喜びの裏には別れの悲しみを背負っている。しかし、日々の生活の中では「死ぬかも知れない」という恐怖は忘れている。この恐怖を意識しながら生きていくことは困難であるので、「いつか死ぬかも知れないが、まだ先のことだ」と楽観する思考が備えられているようだ。これを称して「楽観バイアス」というのだそうだ。
 番組では震災対策が進まない原因として、この「楽観バイアス」が挙げられていた。昨年の大震災で誰もが自然災害の恐ろしさを体験し、自分や家族の身を守るために対策をしなければと思った。しかし、日が経るにつれて「まだ大丈夫だ。自分の身には災害は降りかかってこないだろう」という気持ちが芽生え、対策が後回しにされている現状を突いていた。
 また、対策を行ったという人たちの状況を調査したところ、「懐中電灯を用意した」「水と食糧の備蓄をした」「避難所を確認した」「家族との連絡方法を話し合った」など自分が災害の中で生き残ることを前提とした対策が上位を占めていたそうだ。
 冷静に考えてみれば、第一に考え備えなければならないことは、発災時に身を守ることである。大きな揺れによって家具などが動き、その下敷きになることを避けるための対策、火災を発生させないようにする対策、落下物などで怪我をしないようにする対策、など第一次的な備えである。発災の数分間を生き抜いた上で、次の救助や医療、食料、トイレ、寝るところ、家族との連絡など対応が出てくる。
 無意識のうちに「楽観バイアス」がかかってしまったことで、備えに対する基本的な考え方にズレが出てきていたようである。今一度、どんな備えが必要なのかの順序を洗い出し、非常事態への対応をいていきたいと思う。
 我が家では家具の固定はほぼ完了した。家屋の耐震強度については未確認であるが、倒壊しないことを祈るのみである。食料や水、衣料、寝具の備蓄もすすめてきた。持ち出し袋や停電時への対応、避難場所の確認も行っている。
 次は発災時にいかに生き延びるかであるが、これは天命に従うしかないところもある。せめて家族が一緒にいるときの発災であればと考えてしまうのだ。

 終末論に惑わされて自暴自棄になるより、あるがままの状況を受け入れる心構えも必要なのだと思う。「楽観バイアス」ならぬ「あきらめバイアス」なのかも知れないが、究竟涅槃の考え方であろうか。