XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

兵士は起つ

これからもAll Japan は続く

3月10日は東京大空襲のあった日である。1945年のこの日、墨田・江東・台東などの人口密集地を中心に無差別爆撃が行われ、推定約10万人が死亡し100万人以上が被災した。そして一昨年の3月11日、東日本大震災によってたくさんの人が亡くなったり行方不明になったりし、数多くの方々が日常の生活を失った。日々時間は経っていくが、こうした出来事を忘れることはできない。記憶として、記録として残していくことが私たちの務めだと思う。

「兵士は起つ」 自衛隊史上最大の作戦
杉山隆男 2013.2.15 新潮社
初出 「新潮45」2011年10月号〜2012年12月号

筆者の「兵士・・・」シリーズの1冊である。直接自衛隊員に話を聞き、一人の兵士としての姿から自衛隊をルポするシリーズである。しかし今回は平時ではない。
3.11の東日本大震災を兵士という自衛隊員の目を通して描いている。被災地の中には自衛隊の基地も含まれていた。陸上自衛隊多賀城駐屯地、航空自衛隊松島基地。この二つは特に被害が大きかったようだ。マグニチュード9.0、震度6強という揺れ、そしてそれに続く巨大津波。普段から、非常時への対応をしている自衛隊であっても自然の圧倒的な威力の前ではなすすべはなかった。しかし、すぐに自らの任務に立ち上がっている。被災しながらも、「自衛官である」という誇りを胸に活動をした人々の話から始まる。

かって吉田茂首相が「自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。」と訓辞をしたというが、日々、非常の場合に備えて訓練をし備えているのが自衛隊員の仕事である。3.11もその日常の中にあった。それぞれの隊員は各々の場所で勤務し、また非番であった者もいたが、発災により全員が「別命なくば・・・」の行動基準に従い行動を起こした。この本では、新聞などの報道では知り得ない、そうした災害時の出来事をそれぞれの隊員の目を通して描かれている。
多賀城駐屯地の第22普通科連隊S二曹はこの本の中でも心に残る存在である。この本では隊員は名前で書かれているのに、このレンジャー徽章を持ち、日々黙々と膂力と持久力を鍛えて富士学校の部隊訓練評価隊への配属が決まっていたというS二曹が匿名なのは彼が第22普連の唯一の殉職者だからだという。遺体発見の状況から、駐屯地の外にいたS二曹は事に際して駐屯地に戻る途中救助活動を一人で行い、津波の威力に飲み込まれてしまったようだ。身を挺して職務を遂行した姿に頭を垂れずにいられない。
被災者の救助、行方不明者の捜索、遺体の収容、避難者への生活支援、物資の輸送、などなどさまざまな業務に行政、消防、警察などとともに自衛隊はAll Japanとして取り組んできた。しかし、他の組織と異なるのは、自衛隊は自己完結の組織だということである。千年に一度と言われる大災害ではあったが、こうした日常からかけ離れた事態への準備をしていた自衛隊という組織がなかったらどうなっていただろうと今更ながら考えるのだ。

被災地に入った隊員が見た光景だという。当然被害の少ない内陸側からの進入になったのだが、津波の被害はなかったもののライフラインがせん断された町で部隊は人々に囲まれた。食料や水を要求されたのだという。その先には津波で被害を受けた町があり、取り残され、水に浸かっている要救助者がいる。そこに早く行きたいと隊員は取り囲んだ人々に「食料や水は持っていないので・・」と謝りながら進んだそうである。災害でどの程度の被害が発生しているのか、自分が他と比べてどの程度の要救助者なのかはわからないものである。困っていれば助けを求めるのも当然である。しかし、被災者がそのような状況であることをふまえて、救助する側は対応しなければならない。トリアージを行わなければ救える命も救えないのだ。「声の出せないところに本当に救助を必要とする人がいる」という事実を忘れてはいけない。情報の入ってこないところこそ大きな被害を被っているのだ。

福島の原発事故への対応にあたった隊員の言葉も重い。大型ヘリコプターで海水を掬い、原発建屋に注ぐという任務を淡々と行うということの決意の固さ、そしてそれを心配する家族。放射能という見えない敵に立ち向かうとき、そのための訓練を重ねてきたという自負以上に自衛隊員という使命の大きさを感じさせられた。それは抽象的な自衛隊ではなく、高校を出たばかりの新隊員から定年退職を目前にした隊員、母親である隊員、さまざまな隊員の姿を通して描かれた東日本大震災である。

まだ被災地の復興には長い道のりが残されている。二年を経とうとしているのに行方不明の方々が2676名(2013.3.6警察庁)もいる。AllJapanは続いていく。