XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

お互いさま

shig552006-05-11

東京都下水道局の提供しているアメッシュ情報は便利である。ほぼリアルタイムで都内の降雨状況を確かめることが出来る。家を出るとき雨の降っている範囲が西から東へと移っていく様子を確かめ、地下鉄を出るころには雨は降っていないと判断した。予想は的中し雨に濡れることなく出勤できた。

川口で、保育園に預けていた長男がうつぶせに寝かされていたことに腹を立て、女性保育士や実質的経営者に怪我をさせた男が逮捕されたというニュースがあった。男は私立高校の教諭で32歳。

うつぶせ寝が危険だと言うことは、よく言われていることだが、その一点で相手は悪、自分は正義として相手に怪我をさせるほど攻撃をしてしまう。子どもを預けると言うことがどれだけ世話になっていたのかは捨象されてしまう。子どものおしめを替え、子どもへの優しい微笑みをかけてもらったことなど日常の目に見えない関わりを想像することも出来ず、目の前の事象「子どもがうつぶせに寝かされ危険である」ということで、感情的に極端な怒りで対処してしまう。想像力の欠如であり、社会生活の経験不足である。さらに子への愛情という動物的な本能が先行している。

人と人の関係は点だけでの接触ではないはずである。店員からものを買うことは品物と代金の交換という事象ではあるが、その品物を用意してくれ、自分に譲ってくれるという、また、その品物を作ってくれた人がその後ろにいる。さまざまな関わりがこの事象の裏にある。だから、売る方も買う方も「ありがとう」という言葉が出るのである。
社会は持ちつ持たれつの関係である。ある時には売り手であり、ある時には買い手である。ある時にサービスする側であり、ある時はサービスされる側である。さまざまな面があるのが人の生活である。だからこそ、「お互いさま」という気持ちが生まれてきた。

ベンダーが町中に溢れ、お金を入れると品物が出てくる。行き先を言わずとも切符が買える。マニュアル通りの接客、表層的な情報の氾濫。バーチャルゲームにのめり込み、現実との境目が曖昧になっている人もいる。人と人の関わりが薄れている。

これは「他人を見下す若者たち」速水敏彦著・講談社現代文庫が指摘する、自己の中だけで完結し自分の価値観だけで相手を見下す現象と一脈通じているように思う。