XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

明日のマーチ

碓氷峠の線路跡

陽射しは強くなってきたが風の冷たさはますますひどくなっている感じだ。手袋をしていてもかじかんでくる。庭先の木の陰に残り物のご飯を置いているのだが、目を離したわずかな時間でなくなっている。どこかで鳥たちが見ていて食べてしまうようだ。この季節、食べ物が少なくなっているのだろう。

 石田衣良 「明日のマーチ」 2011,6 新潮社
     2009.10〜2010.11 小説新潮連載をまとめたもの

 鶴岡市の工場を派遣切りで辞めさせられた4人が、東京に帰るのに軽いのりから歩いて帰ることになる。黒崎伸也、林豊泉、三津野修吾、そして春原陽介。工場ではあまり繋がりのなかった4人だが、旅を進めていくうちに一人一人の持ち味が出てくる。行程の描写と共に陽介の目を通して青春ストーリーが描かれている。
 非正規雇用、経済不況、夢を描けない若者の状況、ネットでの情報発信による個人のメディア化、草食系とならざるを得ない立場、グローバル化という圧迫。犯罪者の社会復帰、加害者と被害者の相克、個人と組織政治の関わり等々さまざまな要素がちりばめられているが、石田衣良の透き通るようなな筆致で若者たちの爽やかな姿が描かれている。
 野宿を基本としたパックパッキングをして600kmを歩く。筆者がどのようさ取材をしたのかを思ってしまう。実際に歩き通したとは思えないが、少なくとも鶴岡から碓氷峠辺りまでは実際に足を踏み入れたと思われる。野宿の醍醐味が伝わってくるからだ。朝起きたときのタープの輝きや簡単な朝食のうまさ、トイレのことや雨に濡れたときの気持ちの悪さなど、野宿を経験して書いているように思える。車や交通機関を使って通り過ぎる景色と歩きながら感じる景色とはまったく違っている。歩いていると小さな自然の姿やほんのわずかな気配を感じることができるのだ。この小説の醍醐味はそうした肌で感じる雰囲気を味わわせてくれるところだ。何気ない情景描写の中に作者の筆力を感じる。
 物語の後半になるとパックパッキングのおもしろさよりも明日のマーチというムーブメントに重点が移っていく。東京近郊の大きな公園が登場し日比谷公園へとつながっていくが、どうも地図の上を歩いているようような感覚である。
 IWGP池袋ウエストゲートパーク)で有名になった作者だが、その透明感のある文体のまま一気に読まされてしまった。さまざまな社会状況、課題を扱いながら決して否定的にならず生きることを肯定していることに共感する。深刻な課題があるのだがそれに押しつぶされるのではなく希望を持ちながら見つめる視線が温かだ。爽やかな読後感である。