XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

トツートトト

いろいろな通信が聞こえてくる

 モールス符号で二文字をスペースを空けずに続けて送ると特別な意味になるものがある。トツーはA,トトトはSであるが、二つの文字を続けてトツートトトと送ると、「ちょっと待ってwait a moment]の意味合いになる。送信を一時中断するときなどに使う。資料を探したり、急に他の用事が入ったり、小休止したりなど、さまざまな状況で送信を一時的に止める場合である。
 私はよく移動局を追いかけている。いろいろなところに移動して運用している局を探して交信する。日本では、移動局は/(スラッシュ)の次にその移動地がどのエリアかを示す数字をコールサインに付加している場合が多い。移動地は公園であったり、山の上であったり、河川敷であったり、電波の飛びやすい高地であったりする。移動運用はその地の利点を生かして、長いアンテナを高く張ることもできるし、自然の中で広々とした景色や森林に囲まれてのんびり交信を楽しむこともできる。移動の様子を想像して自分もそこに行っているような気分になるのだ。
 たくさんの局から呼びかけられて切れ目なく交信をしているが、時にトツートトトという信号を出して交信が中断することもある。移動運用ではさまざまなことが起こる。電源電圧が低下してきてメンテナンスしなければならなくなったり、アンテナの固定が緩んでしまいしっかり締めなおすことになったり、アマチュア無線の運用に興味を持った方から話しかけられ対応したり、単に疲れてしまってお茶を飲む場合もあるだろう。トツートトトという符号からさまざまなことが想起される。しばらくして再び信号が出て交信が始まればよいのだが、時にはそのまま再開されないこともある。大きなトラブルになってしまったのだろうかと心配になる。

 無線によって遠く離れた人の動きを知ることができる。遠い昔、「空と海の間に」という映画を見た。1950年代のフランス映画だったと思うが、ノルウェーの沿岸から最短1日の北大西洋上に出漁していた漁船に病人が出てしまう。今のような通信環境があるわけではなく連絡手段はアマチュア無線しかなかった。救助信号を送ると、それを受信した周りの国のアマチュア無線局が次々に中継してその漁船を救うために活動するという内容だった。たくさんの人がその電波を聞いていて、無線を通して人々が連携していく様子に見入った記憶がある。
 [USA 1939 movie about Ham Radio]という動画をYouTubeで見ることができる。急病になったオペレーターを無線を使って助けたり、悪天候で行方不明になった飛行機を救助する様子をたくさんのアマチュア無線局が固唾をのんで見守るという内容だった。電波は特定の相手だけに届くのではなく、さまざまな人のところに届く。だからこそ、人々を結びつけることができるのだ。
 
 アマチュア無線の交信を聞いているとスマートな運用で惚れ惚れする局がある。なめらかな符号の流れで無駄のない内容になっている。自分の信号が多くの人の耳に入っていると思うと緊張する。聞き苦しい打鍵になっていないだろうかと心配し、心地よい交信であろうと願うのだ。
 さて、トツートトトと打電して消えてしまった局はどうしたのだろう。今の時代、他の通信環境が整っているので、大事になることはないだろうが、気がかりである。

自作パドルにカバーをつける

簡単な工作だが使い勝手が良くなる

 アクリル板の弾性を利用したパドルを使っている。誰にでも馴染むものではないが、自分好みになるよう調整してあるので操作性には満足している。しかし、これまで機構部分をむき出しのまま使っていたので、手で支えてパドルを固定するとき指の置き場所が限定されていた。指が機構部分に触れてしまうと符号が出てしまうのだ。また、機構部分がむき出しでは見てくれもあまりよくなかった。手作り感たっぷりなのだがあまり人に見せられるものではない。
 そこで、カバーを付けることにした。どのようなカバーにするかいろいろ検討したのだが、市販品のような精密な機構ではないので、埃が入らないように全体を覆う必要はないと考えた。パドルを保持しやすいようにすることを目的に、Uの字型のアクリル板を機構部分に被せることにした。

 アクリル板は温めていくと柔らかくなり、自由に変形させることができるのだ。冷めればその形が保持される。取り付けたい部分の寸法に切り出したアクリル板をヒートガンを使って熱する。熱が表面だけでなく曲げたい部分全体に広がっている必要がある。木の板など熱に強い物の上にアクリル板を置き、ヒートガンを動かしながらその部分を熱していく。結構アクリル板が熱くなるので、成形には熱を通さないような手袋が必要だ。また、しっかり平らに曲げるように添木として木片などを用意しておくとよい。柔らかくなったアクリル板を木片で挟んで曲げると波打つこともなく綺麗に曲げられる。温度が下がるまでしばらくその形を保持しておくと成形できる。一発で気に入った形にすることは難しいが、アクリル板は再度ヒートガンで熱を加えると、元の板の状態に戻るように広がってくれる。納得するまで成形をやり直すことができる。

 U字型のカバーが出来上がったが、パドルの基台に取り付けなくてはならない。アクリル接着剤で付けてしまえばよいのだが、機構部分に自分好みの微妙な調整が必要になるかも知れない。カバーは取り外しができるようにしておきたい。そこで、試行錯誤の結果、セロハンテープでは留めることにした。強い力が掛かる部分ではないので、テープでも不都合はない。もともとパドル自体が軽いので、基台とカバーが付いていればよいのだ。

 カバーを取り付けてから、操作性が向上した。パドルを保持する箇所の制約が少なくなったのだ。パドルをカバーの上から押さえてもいいし、手のひらで包むように掴んで保持してもいい。
 簡単な工作だが、一段と手作りパドルがグレードアップした気分である。自分だけのパドルで交信を楽しむのもいいものである。

えさ台

誰が餌を食べに来ているのか?

 この辺りはほぼ住宅街なのだが、さまざまな野生生物が暮らしている。川沿いを散歩しているとタヌキを見かけたり、アライグマのシマシマのしっぽを見ることがある。川の中を2m以上もあると思われるヘビが泳いで向こう岸に渡ろうとしているもの見かけた。いろいろな種類の野鳥もいる。最近騒がしいのがヒヨドリ。仲間を呼んでいるのか特徴のある鳴き声が始終聞こえる。夕方ムクドリの大群が電線に列をなしていたり、一斉に川に飛び込んで水浴びをしていることがある。庭木に来るメジロシジュウカラの可愛らしい姿にはほっこりする。近くの川では留鳥カルガモが幼鳥を引き連れていたり、季節によってコガモオナガガモマガモカイツブリ、カワウ、コサギアオサギなどが見られる。キィという鋭いなき声で水面を見るとカワセミがハンティングをしていることもあった。
 人間の領域と勝手に思いこんでいるのだが、実はさまざまな生き物と共存しているのだ。

 我が家の小さな庭にエサ場を設けた。小鳥たちが来てくれればとの思いである。毎朝仏壇に上げるご飯のお下がりを乾かして庭に撒いていた。キジバトやスズメが来て啄んでいる姿が見られるようになっていた。時々はムクドリが急降下してきてスズメを追い払っていることもある。朝エサを撒くと昼過ぎにはきれいに無くなっている。ところがしばらくして鳥の姿を見かけなくなった。それでも撒いた米粒はなくなっている。不思議に思っていると、ある日視野の端を小さな動物の陰が横切ったのだ。その動物が食べているようだ。その後も何回か姿を見ることがあり、どうもクマネズミのようなのだ。
 昔の家屋は隙間が多く、外からネズミが入り込み、天井で運動会をしている音が聞こえたものである。しかし、最近の家屋は密閉性がよく、家の中に進入することはないのでネズミはこのあたりから居なくなっていると思っていた。しかし、生息していたようだ。

 小鳥にはエサをあげて、ネズミにはエサをあげたくないというのは人間のエゴなのだろうが、ネズミにいたずらをされるのは困るので、増えてはほしくない。ネズミにエサをとられない工夫をしなければならない。
 最初の対応はえさ台を設置することだった。鉢皿を針金で吊すように細工し、エサ場の上の枝から吊した。50cm程の4本の針金で吊した。地上から30cmほどの高さである。これならネズミは近づけないだろうと様子を見た。ところがネズミは枝を伝い、針金を伝ってえさ台に侵入した。食べ終わるとえさ台から飛び降り、姿を眩ませたのだ。恐るべき身体能力である。
 次の対策はえさ台を吊す針金を1本にした。まさか2mmφほどの細い針金を垂直に降りることは出来ないだろうと考えた。しかし、また侵入した形跡が見つかった。
 それならと、枝から吊す部分にネズミ返しのシェードを付けることにした。プラスティックの円錐形ならネズミの爪も滑って侵入できないだろうと踏んだのだ。この成果は観察中である。すぐにエサがなくなることはなくなり、少しずつ減っている。でも、小鳥が食べに来ている姿は見かけない。誰が食べているのか不明なのだ。
 小さな庭にはたくさんの種類のチョウやハチ、バッタ、トンボなどが訪れる。自然の中で共存しているのだから当たり前なのだが、ネズミに手を焼くとは人間中心の思考からは抜け出せないものである。

A1C 1100回記念 オンエアミーティング

電信の面白さが広がっている

 月日の経つのは早いものである。2021年11月20日に1000回記念のミーティングが行われたのだが、もう1100回のミーティングになっている。週に一度、土曜日の朝、無線を使ってのミーティングで、主にキー局への呼びかけでレポート交換をする。最近は会員数も増え、なかなか交信をすることも難しくなっている。
 10月28日に1100回記念のミーティングが行われた。今回の趣向はクラブの社団局、0エリアから9エリアまでの10局がキー局として参加するというものだった。会員数が1000回記念の頃よりも650局ほど増え、電信への関心も高まっているので盛大なものになっていた。それでもキー局の数が多いので運用周波数が分散したことで多少は交信しやすかった。私は7つのエリアの社団局と交信ができた。
 今回の私の設備は約2ワット出力のトランシーバーに5m高のEFHWおよびロングワイヤーアンテナである。早朝の運用は3.5MHzから始まった。たくさんの局がキー局を呼んでいるのが聞こえてくる。私も呼び掛けるのだが、なかなかピックアップしてもらえない。呼びかけを繰り返すうちに私は朝の準備のため中断。朝食を済ませて運用を再開すると7MHzでの運用になっていた。21MHzでの運用も行われていて、聞こえてはいるのだがこちらから呼ぶにはきつい状況だった。7MHzで競争相手の少なそうなキー局に呼びかけを始める。QRPでの交信はワッチとタイミングが秘訣である。伝播状況と相手局の状況を予想しながら呼びかける。北海道・東北・関東・信越・東海・近畿・中国の各A1クラブ社団局と交信ができた。微弱な電波でも電信の強みでどうにか交信することができる。北陸の局もよく聞こえていたので呼びかけ続けたのだが、9時のタイムアップで終了になってしまった。四国の局もよく聞こえていたが、相手からの信号は届いてもこちらからの信号は届いてくれなかった。また九州管区の局は沖縄からの運用で、聞こえていても私の微弱な電波が飛んでいくには遠すぎたようだ。
 ツート ツートという単純な音の断続で交信する電信は、ノイズに埋もれそうな状況でも何とか情報をやり取りすることができる。時間あたりの情報量は極端に少ないのだがそれでも2つの局が電波によって繋がるという喜びが得られる。伝播の面白さが体験できるのだ。この電信の楽しさに惹かれ、電信での運用を目指す方のクラブへの入会も増えているという。このイベントを企画・運営してくださった皆さんに感謝するとともに、次回1200回オンエアミーティングはどのくらいの規模とどんな趣向で行われるか期待が膨らんでいる。

A1クラブ ホームページ

コールサインプレート

手作りの飾りもいいものです。

 簡単なアクリル板工作である。
 コールサインは世界で無二の自分だけのものであるので愛着がある。無線機などにもコールサインシールを貼ったりしてさまざまなところで目立っている。無線設備のある小屋(シャック)にも無線局名を飾りたい。いろいろと市販品もあるのだが手作りで楽しむことにした。
 5mm厚のアクリル板端材を使う。デザイン文字が溢れている中で手書きの文字も味があると考え、薄紙にコールサインを書き、アクリル板に裏返して貼り付ける。その文字に従ってミニルーターを使ってアクリル板に傷を付けていく。アクリル板は柔らかいので傷つきやすい。普段はそれが欠点なのだが、今回は傷ついたところを文字として活用する。丁寧に線をそろえて傷つけるのも有りだが、ランダムな傷でもそれなりに味がある。曲線部分はフリーハンドだが、直線部分は定規などに沿ってミニルーターを動かすとうまくいく。あまり深く彫る必要はない。傷ついて透明性が失われればよい。全体を見ながら手直しをして納得のいくまで頑張ればよい。
 当初はスタンドに固定して使っていたのだが、この透明なところを使って光らせたらどうだろうと考えた。100均ショップでテープLEDが入手できたのでこれを仕込むことにする。3mm厚のアクリル板で隙間を作り、その中にテープLEDを入れ、同じ厚さのアクリル板で蓋をする構造にした。電源は単四電池3本のスイッチ付きケースを使った。
 電球色のLEDを使ったのだが、さまざまな色のLEDは点滅するもの、コントローラーで色が変えられるものなどEDの選択は自由である。私はシャックに置いておくので、あまり存在感があるのは避けたいと考えた。落ち着いてそこにあればよいのだ。電球色はどこか郷愁を感じさせる。
 アクリル板は透明度が高く、横からの光が板全面に広がるのでこうした用途に適している。そして工作がしやすいのもメリットである。はんだごてを握ったり電鍵を叩く手をちょっと休めてこんな工作をするのも日暮れの早くなった秋のこの頃、静かに工作が出来るので夕べの楽しみにいかがだろう。

電信符号の分析

打鍵を視覚化

 モールス符号は長点・短点・スペースの組み合わせで文字を表現する。それぞれの時間的長さの比率については定められており、そういう意味ではデジタル信号とも言えるであろう。しかし、人間が手動で電鍵を操作し符号を生成するので、その比率はいつも正しいとは限らない。しかし、耳で聞いて符号を解読するのも人間なので、多少比率のズレがあっても解読できる。逆にそのズレがあるから、単調な符号の流れであってもその人の癖が表れ、また感情を込めた符号にすることが出来る。モールス符号はデジタルとは言っても比率の振れ幅は多少は許容される。.だが、あまりに規定された比率からズレてしまうと大変に聞きづらい符号になってしまう。
 このモールス符号の短点・長点・スペースの比率を計測するアプリがA1クラブで限定的に公開された。JA4AZS片山さんのMorstat(Morse Statistic)というアプリだ。
 利用させてもらうため申し込みをし、ダウンロードサイトを教えていただいた。操作説明書やPCと電鍵のアダプター回路図、Arduinoのスケッチはダウンロードできたのだが、アプリ本体をダウンロードすることが出来なかった。MSのセキュリティーに引っかかっているようだ。途方に暮れて片山さんにお尋ねすると、「申し訳ありませんが、基本的に「ノークレーム・ノーサポート」ですからこのくらいのことはご自分で調べて解決してください」と叱られてしまった。確かにアプリ公開の条件として片山さんから「ノークレーム・ノーサポート」が示されており、安易にお尋ねしてしまったことを反省した。そこでダウンロードできないことをチャットAIに聞いてみると、「別のブラウザで試してみては」とのアドバイスがあり、Chromeから接続してみるとアプリ本体のダウンロードができた。
 早速アプリをインストールして動作させてみると初期画面は出るが動いてくれない。操作説明書をもう一度読むと「最初に作業フォルダーを作成しておくこと」を見逃していたことに気づいた。作業フォルダーを作成してからインストールをやり直すと動作が始まった。
 電鍵を接続するためのAruduino nanoは電鍵入力と圧電素子、LEDを取り付けるだけの簡単な工作で、片山さんから提供していただいたスケッチを書き込むことですんなりと動作させることが出来た。アプリからのメッセージもこのアダプターの音で出てきた。
 モールス符号を打鍵してみる。耳で聞いていると特に違和感のない符号だと思うのだが、思い通りの文字にデコードされず、レーダーチャートで表示された分析結果をみるとスペースのズレが殊の外大きいことがわかる。耳で聞くのとPCの分析では大違いのようだ。規定の比率からのズレが少なければチャートに表示される5角形が小さく中心部に纏まってくるようだ。自分の癖が視覚されれている。
 操作説明書にあるアプリの画面と私がダウンロードしたものでは画面が異なるようで撒布図表示や個性診断は見ることが出来なかったが、レーダーチャートだけでもとても参考になった。
 アナログ的なデジタル信号、モールス符号は短点・長点・スペースの比率規定からの多少のズレを活かしながら、相手にわかりやすい符号であることが望ましい。こうしたアプリを使わせていただき自分の符号を振り返ることが出来るのは有り難いことである。

手作りパズル

手近なもので作るパズル

 簡単なおもちゃなので、手近にあるもので作った。木片に繋いであるコードに2つの輪が入っている。この輪を左右に別々にしたり、一方に纏めたりするパズルだ。輪は木片の穴を通り抜けることはできないので、コードを操作して輪を移動させるしかない。どのように操作して輪を移動させるかというパズルである。
 一見難しそうだが、試行錯誤しているうちにできてしまうところがミソなのだ。理屈で考えてもなかなか分かりづらい。指を使ってコードをあれこれ操作するうちにうまくいくことがある。脳トレというよりも指先の運動と言った方がよいかも知れない。

 このパズルはネットを彷徨っているときに動画で見つけた。要はコードの真ん中がひばり結びで固定されていて、両端も穴から抜けないようになっている。そのコードの途中にリングが入っている構造である。さまざまなバリエーションがあり。木片などを活用したものが多い。私の作ったものも私なりにアレンジして、ありあわせの材料で作ったものである。

 こうした昔から伝えられてきたパズルがたくさんある。すぐには解けそうにもなく、考えてしまうのだが、試行錯誤している中できっかけが見つかり、解くことができる。その過程を楽しむ。ゲーム機のような複雑なコンテンツが組み込まれているわけではないが、あれこれと迷いながら一つの目的、「出来そうにないことに挑戦する」ということに集中する。うまく解けた時にはそれなりの達成感が得られる。

 最近「昔遊び」が見直されてきているようだ。ベーゴマ、コマ回し、おはじき、めんこ、けん玉など、懐古趣味ではないがその面白さが見直されている。どれも技や習練が必要であり、自身の成長が感じられるものである。主体的な学びがその面白さの中心なのだろう。大きく言えば自己実現である。自分の力が発揮できた時に喜びが得られる。そして自己肯定が増長される。なによりも手先の機能訓練になる。

 社会の分業が進んでほとんどのものが商品として流通している。自作をするのはかえって費用がかかってしまう。しかし、手作りで自分だけのもので遊ぶのもいいものである。単純だからこそ、達成したときには自慢したくなる。そして周りに広めたくなる。手作りのぬくもりが広がっていく。デジタルの遊びを否定はしないが、手指を使った遊びの楽しさを子どもの時にこそ体験してほしいものである。