XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

製本サービス

f:id:shig55:20181124114448j:plain


 すべては無常であることはわかっている。形あるものは壊れ、記憶は失われ、思いは薄れていく。記録は消され、失われていく。そうだとわかっていても、残したいと思うのが人間なのだ。
 記憶の曖昧さから、さまざまな形で記録がなされてきた。粘土板に、木簡に、羊皮紙に、そして紙に、文字や図を用いて記録を残してきた。音や映像についても蝋管にレコードにテープに残されている。
 その記録が最近ではほとんど電子データとして残されるようになってきている。電子データの利点は複製が容易であること。編集も容易であり、保管にも場所を取らない。さらに検索が容易にでき、求める情報を素早く取り出すことが出来る。唯一の欠点は人間が直接、人の持つ五感によってそれを認識することが出来ないことだ。パソコンなどを介さなければそのデータの内容に触れることが出来ない。

 私はだいぶ以前からブログをやっている。日々の生活の中で気になったことなどを書き綴ったものだが、そのブログサービスが閉鎖されることになり、他のサービスに移行しなければならなくなった。作業が無事にできたのだが、そのデータを今後どのように処理したらよいか考える機会となった。
 心無圭礙 囚われないことが大事だとはわかっているが、長年積み重ねてきたものを失ってしまうのも寂しい。せめて自分の生のあるうちは手元に残したい。そこで、製本サービスを利用することにした。ブログなどのデータを送ると、本の形のまとめてくれるサービスである。本という形になれば、手軽に手に取ることが出来、所蔵できる。
 作業を進めてみると、思いのほかデータが大きいことがわかった。本にする場合、最大で480ページだと言うが、収まり切れない。3分冊にすれば収まるとわかったが、とりあえず、2巻のみ製本をし、現在進行形のブログを含む最近の部分は将来の製本とすることにした。写真部分も残したかったのでカラーの印刷にしたが、結構費用が掛かった。それでも私の道楽の一つとして散財することにした。

 ブログサービスは利用料金が支払わなくなれば閉鎖されるだろうし、そうしてデータが消去されるのは致し方ない。製本されたものも私と一緒に煙となるのもいいだろう。なかなか無所得に成れないのが人間の性のようだ。生きているうちの煩悩である。