XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

夜の暗さを楽しむ

f:id:shig55:20181107110422j:plain

 海外のドラマを見ていると、部屋の中の灯りが少ないことに気付く。ハリーポッターなどでも街灯がぼんやりと灯り、家の窓から微かな光が漏れ出ている情景である。夜がその暗さを残している。日本では行灯の明かりから裸電球の明かり、そしていつも間にか天井のシーリングの明かりへと変化してきた。それはどういう経過か定かではないが、部屋全体を照らすもので、蔭のほとんど無い明かりである。
 夜になっても昼と同じような生活ができ、雰囲気も昼と違わない。このような証明になれてしまうと、海外の影のある照明に何か違和感を感じていた。
しかし、生活するのに必要な明かりは手元が見えれば良いのであり、煌々と部屋全体を明るくする必要はない。まして事務作業をするのでもなく、ゆっくりと休むための部屋ならもっと暗くても良いのではないだろうか。
 必要なところに、つまずく恐れのない程度の明かりが灯っていれば、手元を照らすスタンドのような明かりがあれば困ることはないだろう。影がある照明の方が空間に深みが増し、気持ちも落ち着いてくる。LEDの目を刺すような白色光ではなく、電球色といわれる橙色めいた明かりの方が温かみがある。
経済が急速に発展していた頃、子どもたちの目を守るために、「勉強机の蛍光灯を灯したら部屋全体を明るくして、明暗差を無くし、目を疲れないようにしましょう」というコマーシャルがあった。考えてみると、勉強机の蛍光灯はそれほどに強烈な明るさだったのだろうか。明暗差で目が疲労するほど部屋が暗かったのだろうか。明暗差で疲れないようにとの配慮がいきすぎていたように思える。経済の発展と期を一にしていたので、消費拡大という波に飲み込まれていたように思うのだ。
 天井のシーリングライトを消し、いくつかのスタンドライトを灯してみた。部屋の中に影ができ、ものが立体的に見えるような気がする。生活するのに困ることはなく、必要な場所に明かりを灯せば事足りる。気分的にも落ち着いた雰囲気になる。ちょうどキャンプで焚火を囲んでいる気分である。
 夜を敢えて昼と同じようにする必要はない。夜は夜の特性を楽しめばよい。暗いというのは夜の特性であり、その特性を生かす方が生活が豊かになるのではないか。

 つや消しをしていないガラスの電球の中に、電球色LEDで作られたフィラメント状の発光部がある装飾電球を手に入れた。そのままではさすがにLEDの発光が目に入りまぶしいので、和紙でシェードを作り、被せた。LEDなので発熱はわずかである。周囲への十分な明るさがある。部屋の中に吊し、天井のシーリングライトを消して、明暗のめりはりのあるの明るさを楽しんでいる。