XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

映画 「裸の島」

shig552011-06-06

 梅雨の晴れ間、急に気温が上がってきた。半袖になると日焼けをしてしまいそうな一日である。大きな天変地異の後では梅雨のような穏やかな変化には心を動かされなくなってしまったのか、梅雨という言葉にもあまり季節の移ろいを感じなくなっている。

 テレビで名画とされる映画が放送されていた。その中の一つ「裸の島」。近代映画協会が解散記念として作ったという実験的色彩の強い映画である。
 実験的というのは全編にせりふがないこと、スタッフ11人と主な出演者2名で短期間、低予算で作られていること、そして場面が瀬戸内海の小さな島とその周辺に限定され、物語が一つの家族の日常だけであることなど、商業映画としては枠外と思われる作品である。1960年に公開され、翌年のモスクワ国際映画祭でグランプリを受賞するなど幾多の賞に輝いている。(監督:新藤兼人 主演 殿山泰司乙羽信子

 電気も、水も、通信手段もなく、海から急峻に立ち上がった小さな島。そこに夫婦と2人の息子が生活している。斜面ばかりで生産性のほとんどない土地で夫婦はサツマイモや麦を栽培し生活を営んでいる。水を保っておけない土壌は定期的に水を与えなくては作物を維持できない。しかし、島は海に囲まれているが淡水は手に入らず、生活用水も作物に与える水も対岸の大きな島から運んでくるしか手だてがない。夫婦は朝暗いうちからおけに水をくみ、手こぎ船で島に運び、天秤棒で桶を担いで一歩一歩、島の頂上近くの畑へ運ぶ。そして柄杓で少しずつ作物に水をやる作業を日々繰り返している。このつらい労働の中でわずかばかりの収穫が一家の収入になるが、すべてが一家のものになるわけではない。四分の三は地代として納めなくてはならないのだ。残されたわずかな作物を売った金で日用品を購入する。きつい労働とはかけ離れた現金収入なのだ。
 そんな一家に幸運が訪れることもある。仕掛けておいた釣り竿に大きな鯛がかかったのだ。映像を見ていて、「夕飯のおかずが手に入った」と思ったのだが、そうではなかった。一家はおめかしをしてフェリーに乗って遠くの街に鯛を売りに行く。なかなか買ってもらえないが、それでもどうにか換金することができ、4人そろって食堂でカレーライスを食べ、子どものシャツを買うことができた。
 しかし離島の生活は厳しい。ある日両親が留守の時、兄が高熱を出して意識を失ってしまう。弟は必死に手を振り両親に知らせる。父親は大きな島であちこちと探してやっと医者を島に連れてくるが、医者が到着したときすでに子どもの息は絶えていた。
 葬儀を終え、また日常の生活に戻るが、過酷な労働、厳しい現実、その中で母親は先に進めなくなってしまう。せっかくくみ上げてきた水の桶をひっくり返し、手当たり次第作物を抜きとり放り投げてしまう。そして畑に身を投げ出し号泣する。せりふのない映画の中で母親の泣き声が響く。土をつかみ、大地をたたき、大声で泣く母親の姿に夫はなすすべを持たない。ただ、柄杓で作物に水をやる作業を黙々と続ける。しばしの静寂の後、母親が顔を上げ夫を見る。「これが現実だ。これが生活だ。これが生きていくということだ。」ということをその目の中に映している。そして母親も立ち上がり、作物への給水作業を始める。
 
 夢や希望はたくさんある。でも、人は日々の生活から一歩一歩進んで行かなくてはならない。生きることが生活することであり、働くことが生きることである。短い映画ではあったが強烈なインパクトを与えられる作品であった。