XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

まねぶ

野の花を生ける

今日は寒冷前線が日本列島の上に縦に長く伸びていて、その移動によって天気がめまぐるしく変化する一日だった。やっと夜になって雨も上がり、高気圧が張り出してきたようである。しかし、これに伴って寒気が入ってくるので明日は冷えそうだ。気温の変化が激しいので体調を崩してしまった。のどの痛みがたまらない。

 広辞苑によると、学ぶ(まねぶ)は真似ると同源だという。示されたことを真似していく中でその本質を理解し、自分なりのものとして学んでいくのだと思われる。
 料理番組を見ていると、材料が示され、味付けのための調味料の分量も示される。そして作業順序の説明になり、最終的には盛りつけの工夫が示される。この料理を作ろうとすると、必要なものをそろえるために、メモを片手にスーパーの中を右往左往することから始めなければならない。レシピに示された手順に従って料理を進めると、そこそこのものができあがる。「○○という料理を作る」というまねびがこうして行われるのである。
 生け花の稽古の場合、師範の用意してくれた花を教科書の花形に従って生けていく。すでに花を与えられる段階で、師範が花の組み合わせを吟味し、どのような花形で生けたらよいか判断されている。素材も、形も整えられた上で、教科書を参考にして生けるのである。ここでも真似ることを通してそれぞれの花の特性を理解し、花材相互のバランスや空間の活かし方を学ぶ。
 真似ることを通して、素材と向き合うこと、対処の仕方を会得していく。この方法のよいところは、真似ることによって結果的にそこそこの成果をあがることができ、成就感を味わえることである。
 しかし、実際の生活で活用されるのはそれ以上の力である。さまざまな食材は一つの料理のために集められると言うよりも、近くの農家から新鮮な野菜を分けてもらったとか、田舎からジャガイモが送られてきたとか、スーパーで特売があったとか、釣りに行った人からお裾分けがあったなど、素材が先に入ってくることが多い。
 花材を手に入れる場合でも、花屋で選んでくることよりも庭に咲いていた花であったりハイキングで摘んできた尾花であったり、花束としてもらった花であったりすることが多い。花材が先にあり、それをどのように活用するかが求められる。
 「まねび」から一歩進んで、自分なりの創造が求められる。真似ることを通して学んできた経験を生かし、活用し、そこにある材料でできることを考える。失敗することも多いのだが自分の創意工夫が生かされ成就感はより大きなものになる。
 「まねび」と実践は平行して行われているものであり、生活をより豊かにしていくのには欠かせないものである。しかし、さまざまな機器の発達により情報の洪水が押し寄せてきている状況の中で、「まねび」の比重が増し、自分で考え工夫することが少なくなってきているように感じている。どこかに正解が存在し、その正解を探さなくてはならないと脅迫感に囚われている姿である。失敗を恐れないで自分の足で歩んでいくことが人生の充実に繋がると思う。真似ることに刺激を受けながら、自分で考え工夫して料理でも、生け花でも、もの作りでも楽しんでいきたい。