XRQ技研業務日誌

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空海と密教美術展

空海と密教美術展

 20日から東京国立博物館で「空海密教美術展」が開催されている。このような大きなイベントでは大勢の人が押しかけ混雑するのだが、昨日、多少並ぶことを覚悟して出かけた。
 台風の余波が残り、雨交じりの天候だったせいか、上野の山は人影もまばらでいつもと様子が違った。ウィークデーでもありみな外出を控えているのだろうか。トーハクでも入り口に行列はなく、すぐに会場に入ることができた。
 
 この展覧会は真言密教の祖であり、三筆としても有名な空海ゆかりの品々を集めたものである。
 31才の時、空海は留学僧として唐に渡った。しかし2年で帰国している。短期間であるが空海自身が「虚しく往きて実ちて帰る」と書き残しているように密度の濃い留学だったようだ。空海自身が学ぶだけでなく、多くの人の協力を得て経典を写本し、密教法具などを製作し、日本密教の基となるたくさんの事物を持ち帰った。直接仏教に関わるものだけでなくさまざまな技術や生活様式なども日本にもたらしている。
 空海は留学中に「遍照金剛」の灌頂名を与えられた。今ではこの法名を「南無大師遍照金剛」と唱えることで空海への尊崇を表すようになっている。
 帰国し、空海は持ち帰ったものを「請来目録」としてまとめている。そこに書かれている以外にもたくさんの事物があったようで、空海の影響は日本全国に広がっている。空海が杖を立てたところから泉がわき出したり温泉が出たりというところがたくさんある。実際の足跡とは必ずしも一致しないので、事実とは異なるところもあるようだ。しかし空海のもたらした影響の大きさを示している例と言えるであろう。 
 展示されているほとんどのものが重要文化財や国宝に指定されている。なかなか見る機会がないものだが、特に書のすばらしさに感動した。
 空海嵯峨天皇橘逸勢とともに三筆の一人とされているが、出身である讃岐国多度郡の佐伯氏は書博士としての家柄でる。入唐時、嵐で漂流し、やっと岸にたどり着いたが海賊と疑われてしまった。長期間留め置かれたが、そのとき遣唐大使に代わり嘆願書を代筆したという逸話からもその書の実力がうかがえる。
 時代ごとに用途ごとに書体などが異なっているが、字体のまとまり、バランス、筆の流れの流麗さや力強さなど、私には文全体の意味はよくわからないながら一つ一つの文字の美しさに魅入ってしまった。
 「灌頂歴名」、「御遺告」、「御請来目録」など小さな文字でびっしりと書かれたものが多いが、その中で「崔子玉座右銘断簡」という大きな文字のものがあった。元は百文字の長い巻物であったようだが、すばらしい文字をたくさんの人々が求めたのか、巻物は裁断され散逸してしまったという。展示されているのは高野山宝亀院に伝わる「無道人之短、無説己之長」と書かれたものである。この筆跡を断簡してまでも我がものとしようとした古の人の気持ちもわかるようなすばらしい書である。 
 この展覧会のポスターに使われている仏像曼荼羅が最終コーナーにあった。東寺でのオリジナルな構成と異なり、仏像は8体だけで仏像相互の関わりが乏しい展示になっていた。一つ一つをじっくり鑑賞できるのは嬉しいが、曼荼羅世界を体験するにはほど遠い構成なのは残念であった。