XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

焼き物の街で

shig552007-04-24

日本列島の形に添って前線が停滞している。大型連休には南の海上に抜けると予想されているようだが、このところすっきりした天気にはならないようだ。こんな状況を菜種梅雨と言うのだそうだ。まったく梅雨言うにふさわしいようなうっとうしさがある。

川をまたいでワイヤーを張り、鯉のぼりを泳がせているところが増えてきた。先日その一つに出会ったが、どんよりとした雲の下では鯉のぼりも元気がないように感じられた。風になびいているのだが泳いでいると言うよりも、布きれがが風に揺れている風情になっていた。やはり青空と緑の木々の間を泳ぐ鯉のぼりでなくては季節の風物詩とは言えないようだ。

益子の街を散策してきた。近隣から陶器作りに適した粘土が産出されることから、隣の笠間とともにたくさんの焼き物工房がある街だ。益子町の市街地開発が進んだとのことで、これまでの雑然そしてそれでいて趣のあった焼き物通りが、すっきりと様変わりしていた。観光客が安心して歩けるように広い舗道が造られ、その両側に焼き物を扱う店などが並んでいる。道路を造り替えたことで店自体も建て直されたようでどの店も真新しく広い間口をもっている。明るく、広々としているので散策するのは楽なのだが、歴史感の薄い感じがして、ちょうどTDLなどのテーマパークを歩いているようである。
雑然とした中から感じられる人々の生活感、歴史の積み重なりも大事なのだと感じた。

さまざまな焼き物が展示・販売されているが、気に入ったものにはなかなか出会えない。作家や工人がいろいろな技法を使って作っているのだが、一人一人の感性が出ていて、「きれいだ、趣がある」というものは多いのだが、それ以上の気持ちにさせられるものはなかなか見つからないものだ。
展示で気になったことがある。作家の名前と並んで値段が表示されていることである。この作品は何十万、こちらは何百万、これは何千円とまるで、一つ一つの焼き物を評価するように展示してある。美術館・博物館ではなく、販売を目的に展示してあるのだから、値段を表示するのは当然なのだが、作品を見ると同時に値段が目に飛び込んできて、その値段で作品を見るようなことになってしまう。せめて小さく、作品の底に値札を貼っておくなどの配慮ができないのだろうか。
この焼き物通りとは別の工房に立ち寄ったとき、そこの品物は値札が隠されていて品物自体が自分を主張していた。じっくりと見て回って気に入ったものが見つかると手に取り、裏返すと値段を見ることができる。値段という他人が付けた価値観でその品を見るのではなく、自分の感性で焼き物を見ることができた。

益子も笠間も5月の大型連休はイベントが開かれ大勢の人が訪れる。その時期をずらせて訪れたのは正解だった。ゆっくりした雰囲気の中で散策を楽しめた。見つけたのは茶碗と中皿と小皿。普段使いのお気に入りである。