XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

算法少女

shig552006-12-11

日の落ちるのが早くなり、街のあちらこちらにイルミネーションが輝きだした。最近はLEDのものが多くなり、白や青の光が瞬いている。さまざまな製品が出ているようで、トナカイや雪を象ったものもある。縄はしごをサンタクロースが登っている意匠のものが家の壁に飾ってあるのは思わず見とれてしまった。

「算法少女」という本は安永四年(1775)に女性によって書かれた和算の本だそうだ。江戸時代に日本独特の数学が発展し、人々の間に広まっていたようである。私も神社を参拝したおり、算額が掲げられているのを見たことがある。幾何の問題などが描かれているようだったが、数学と神社という取り合わせに何かしっくりこないものを感じていた。
この度、筑摩書房から「算法少女」が復刻された。復刻と言っても江戸時代のものではない。1973年に岩崎書店から出版された同名の小説である。江戸時代の「算法少女」がどのようないきさつで出版されたのかを題材にした小説である。ある部分は事実に即してある部分はフィクションで書かれたと作者が書いている。子どもたちにも読めるように大変平易に書かれているので一晩で読むことが出来た。
大変におもしろいと感じた。算法という日本独自の数学であるが、真理の探究というおもしろさに人々が夢中になり、身分制度などを超越して楽しんでいた様子がうかがえる。また、流派というセクショナリズムの中で算法が広がっていくが、次第に数学の論理的普遍性と家元制度が矛盾していく姿などが描かれている。
和算についてはあまり詳しくはないが、伊能忠敬の測量器具や記録帳などを資料館で見たとき、その精密さと計算の緻密さに驚いたことがある。
元禄時代には関孝和と言う算法家が高度な和算を生み出していたことは知っていた。また、算法が余裕の出来た人々の間で知的楽しみとして広がっていたことは、さまざまな算額のなかに知ることがあった。この本を読むことで江戸という時代の中で具体的にどのように人々の中に位置づいていたかをイメージすることが出来た。そして学ぶと言うこと、思考を巡らすと言うこと、試行錯誤しながら正解を求めることを楽しんでいる姿を見ることが出来たように思う。
制度として教育が位置づけられ、否応なく学校に行っている子どもたちに是非読ませたい物語である。やらされる勉強ではなく、自分でやる勉強の姿がここにある。