XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

小説 「 ジウ 」

shig552011-10-06

 気圧配置が入れ替わったことで気候ががらっと変わったように感じる。街の中のそこかしこにキンモクセイの香りが漂っている。空の色が秋色になり、雲の白さと対比する青の色が冴えてきた。過ごしやすい気温になり外出したくなるこのごろである。原発事故による放射能オゾン層減少による紫外線の増加などの心配が早く改善することを願わずにいられない。

 小説 「ジウ」3部作 誉田哲也 2005〜6 中央公論新社
 新しい警察小説と銘打ったエンターテイメントである。テレビでも映像化されたとのことであるが見逃してしまった。3巻から構成された作品だが、今回はちょっとひねくれて3から逆に読んだ。
 警視庁刑事部捜査第一課特殊犯捜査係(SIT)と警備部特別急襲部隊(SAT)とジウという正体不明の少年を中心に陸自出身者などの犯罪者たちとの攻防を描いた作品である。?巻で大きく取り上げられ明らかになってくる「新世界秩序」という概念が物語り全体を引っ張っていく。新宿歌舞伎町一帯を治外法権とした世界をその実態のように描かれている。ジウやミヤジが目指したものは薬物や銃器が規制されない世界という、現状の法治国家の中での逃避であり、エンターテイメントのためのアクション要素と成っている。
 しかし、ミヤジの生い立ちやジウの境遇の中で示される「新世界秩序」という概念、それに共鳴した陸自隊員たちの心に芽生えたものは別の表現をするならば「記録のない世界」と言えるように思えた。
 文明の発展は記録の蓄積であり、その記録が受け継がれていくことで文化が進んできた。記録が残されることで一人の人間の一生が次の世代に受け継がれ、秩序となって社会の安定に寄与してきた。現代の私たちは出生届、戸籍、育児記録、学籍簿、住民票、選挙権、健康保険、年金手帳などさまざまな記録で守られている。自分自身が存在していることが身の回りの人々の記憶だけではなく、記録として残されることで認知されている。だから殺人や誘拐、拉致など一人の人間を消滅させることは困難であり、起こりにくくしている。
 しかし、過去の歴史や世界の国や地域を見てみると、今、私たちが常識と感じているこれらのことが常識ではないことに気づく。江戸時代、水をくみに行くと水路に溺死した人が流れ着いていて葬ってやったなどということが頻繁にあったという。内戦状態の国では突然に村を武装した集団が襲い、兵士として若者を連れ去っているという。日本から連れ去られた人が未だに所在不明で、相手国は「調査する」言ったままで月日だけが経っている。記録のない世界が存在するのだ。逆に記録のないことが常態であり、記録があることを常態と勘違いしているのだといった方がいいのかもしれない。これまで人類は記録を残すことに努力してきた。公の記録はごく限られた人のものしか残せなかったが、社会的な記録は膨大に蓄積されたきた。そして、時代は新たな展開に入り、個人の、それも名もなき個人の記録までネットで半ば公の状態で記録を残せるようになった。
 記録を残せることで身を守ることができるという反面、小説のように記録があることが束縛となり秩序の中に組み込まれるという考え方もできる。新世界秩序という考えには同意できないが、新たな局面に入ってきた記録のあり方については考えていかなければならない状況である。