秋が深まってきた。マフラーを巻いて出勤するようになった。銀杏の葉が日々色を増している。ケヤキの葉も色づき、陽光を透かしてみる景色は美しい。
目的のない文を書くのは、気持ちに余裕がないとかけないものだ。前回から一ヶ月近く開いてしまった。さまざまな出来事が立て続けに起こり怒濤の数週間であった。
「お陰様」「もったいない」「お互いさま」・・・人と人、人と物などの関係がギスギスして閉塞感が増している。言いようのない不安と出口の見いだせない毎日。そんな気持ちの人々が互いにぶつかりあている。その状況が良いとは思っていないのだがどう解決し抜け出すのか探し求めている。探しながらも互いに傷つけ合いながら。
きな臭さが増してきたと言う人がいる。冷戦を乗り越え、東西対立から南北対立、先進国と途上国、国同士の関係は徐々に改善に向かってきたが、民族、宗教の対立は激化している。知的なレベルの関係修復は進んでも、感情レベルでの融和がまだまだ難しい。
人々の閉塞感とこのきな臭さが結びついたとき、かつて犯してきた誤りをまた犯してしまうのではないかと危惧される。知的レベルでは戦争を否定していても、感情レベルで流されてしまう危険性がある。
いじめ、自殺などマスコミのヒステリックな報道で不安だけが煽られている。「死」を武器として使っているような風潮も出てきた。自殺をほのめかし自らの主張を通そうとする。それを救おうと中央官庁が迷走する。個のレベルと国の舵取りをするレベルが交錯している。
イギリス・コッツウォルズの親子三代で築きあげてきた庭の映像を見た。地形に合わせていくつものテーマによる庭を造り楽しんでいる。家によっては花と野菜が同居し生活と一つに溶け合っている。庭仕事を楽しみ庭の景色を楽しむ。花々に囲まれてお茶の時間をゆったりと過ごす。夕方パブに集まる人々の顔は穏やかである。
この地方は石炭の産地からも遠く、18世紀の産業化から取り残され、今でも鉄道網が敷かれていない地方だという。工業化から取り残されたようでも今ではArts&Craftの中心地になっているとのこと。手作りの製品を作り、日々の生活を楽しんでいる。
ものの豊かさ、生活の便利さを求めてきたが、この閉塞感の中で別に生き方に魅力を感じるのは私だけではないようだ。