文化の日。晴天の特異日であるらしい。今日も朝のうちは肌寒さを感じたが日中は暑さを感じるほどの天気だった。三連休初日ということで朝から高速道路などは混雑していた。紅葉の便りも北の地方から聞こえてくるようになった。栃木県日光の山の上では例年よりもだいぶ遅いが、木々の色が鮮やかになってきたという。
ある本を読んでいたら、木々の葉の色が赤やオレンジ黄色に変わるのは、色が変わるのではなく葉の中にあるクロロフィルが抜けることで、本来含まれている赤やオレンジ、黄色が見えるようになってくるのだという。見えていないものが見えるようになるだけで、葉の色が変わっているのではないとのことだ。見え方とそのものの本質とは違うという一例のようだ。
あるイベントで平岩弓枝さんの挨拶を聞くことが出来た。いつも含蓄のある話しなのだが、今日の話しは暖かさについてだった。
『今日のような日射しに当たっているとぽかぽかと身体が暖まってくる。太陽の光や暖房器具によって外から暖まるのを「暖」という字で表現する。一方、心が温まるとか温かい言葉という内部からの温かさを「温」という字で表現する。どちらも大切で、これらのあたたかさなしでは人は生きていけない。
掌を合わせ強く握るとその掌の中からあたたかさがにじみ出てくる。人にはこのあたたかさが生来備わっている。これは生きる力である。この生きる力を大事にして欲しい。
最近悲しいニュースがたくさん聞かれる。悲しいこと、苦しいことがいろいろあるのだが、私たちのもっているこの力を大事にして、しっかり生きて欲しい』
言葉はもっと洗練されたものだったが、概略このような話しだった。短い挨拶だったが平岩さんが話されるその言葉の切実さ、あたたかさは聞く人の心をうつものだった。
人は自分のの弱さを認めながらも、自分のもっている生きているという事実、生きているという力を大事にしなければと思う。掌のあたたかさは自分が生きている生きたいという表れである。いろいろ理屈で言ってしまうのだが、命とはこのあたたかさなのだと気づかされた思いである。
つらさ、悲しさ、しんどさ、さまざまな壁にぶつかり、閉塞感に陥って逃げ場がなくなったとしても、掌の中には温かさがある。生きる力があると言うことを忘れないようにしたい。