寒さが増してきた。昨日は帰宅のため職場を出たらあまりの寒さに身体の震えが止まらなかった。気温自体はそれほど低いはずはないのだが、気持ちの上でも身体も寒さへの備えが出来ていなかった。昼間はシャッツ1枚でも過ごせたので、まだまだ秋のつもりでいたが、季節は確実に冬に近づいていた。急激な気温の変化に気分が順応できなかったのだ。
今日はあることを調べるために、那須まで出かけた。久しぶりの晴天。木々の色も紅葉と言うよりも枯れ葉に近い色に変わっている。それでも山全体の色はきれいだった。青空に映えた景色は見応えがあった。日射しは温かいが気温は7℃と低く、山道の脇には氷が溶けないで残っていた。
ホームページに新しいコーナーを開設した。「おもちゃの修理」を請け負うページである。自作を楽しんでいるが、自作と同様に修理も楽しいものである。これまでも防犯ブザーの修理を数十例こなしてきた。機能しなくなったと届けられるブザーだが、接触不良や基板の破損、ハンダ不良などちょっとした手を加えることで再生することが出来た。中には修理不能のものもあるがごく少数である。また、近所の子どものおもちゃを修理し喜ばれたこともあった。将来はそのようなボランティアをしてみたいと考えているが、ネット上なら今からでも始められると考えたのである。
調べてみると「おもちゃの病院」というものが各地に開設されているようだ。また、「おもちゃ病院連絡協議会」なる団体もあることがわかった。まだまだそのような本格的な活動は出来ないが、少しずつ始めてみたいと思う。
自分の楽しみということからのスタートであるので、ボランティアとは少し違うかも知れないが、私の行為が何かの役に立ち、それによって喜んでくれる人がいるならば、こんな嬉しいことはない。自分よがりなスタートであるが、ともかく第一歩を踏み出した。
今朝のテレビで工業高校の生徒たちが家庭電化製品の修理をして喜ばれているという場面があった。古い製品でメーカーでの修理も出来ず、捨てるしかないような品物でも、まだ機能してくれれば使いたいと思っている人は多いようだ。しかし、PL法など社会の仕組みがメーカーに重い責任を課している。メーカーとしてはその責任という立場から中途半端な修理は出来ない。新品と同じような安全性と耐久性を持たせた修理をせざるを得ない。だから、修理代は高額になり、古いものの修理は応じられないのだ。
しかし、消費者にとって古い品物の修理はそのような期待をしているのだろうか。使えるなら使いたい、だめなら諦めて廃棄するという気持ちのはずである。消費者としての自己責任で壊れること、経年変化で故障しやすいことを理解した上で完全な修理を期待してはいないのではないか。
「おもちゃの病院」が繁盛しているのは「おもちゃ」という特性・性格からこの自己責任が理解されやすいものである点に理由がありそうである。私は他人が使う家電製品を修理することには二の足を踏んでしまう。身内であるならば自己責任として修理をしているが、他人に対して責任を負うことは出来ないからである。
「もったいない」という精神を広めて行くには、一人一人が自己責任をとれるようになることが必要だと思う。「誰かが○○してくれるはず」という依存体質の中では、この高校生のような家電修理は危険であり、ボランティアとしての美談ではすまされない一面をもっている。