XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

The NOH

shig552006-10-24

久しぶりの雨が続いている。舗道には銀杏が落ちている。朝、ビニル袋を手に銀杏を集めている人を見かけるようになった。季節の便りを楽しんでいるようだ。都会の街路樹にも確実に季節が巡ってきている。

このところブログへの書き込みの間隔が開いてしまっている。書くことがないのではない。書く時間がないわけでもない。書こうという気力がないのだ。ふっと心に浮かんだことを書き留めたいと思っているのだが、さまざまに思い浮かぶことを書くところまで行き着かないのだ。書くべきことが通り過ぎてしまう。忘却の彼方へ行ってしまう。強い意志がないと日常の生活の中に埋没してしまうのだ。

昨夕、能楽堂へ足を運んだ。国際映画祭の公式行事の一つに潜り込んだのである。演目は仕舞が「藤戸」紋付き袴姿の演者が細い杖1本だけで漁師の亡霊が殺されたときの模様を自ら再現し、槽の供養で成仏するまでを演じる。始まる前に解説をしてもらったのである程度の流れを知ることが出来たが、単純化され形式の美しさを追求した動きだけでは、その意味するところを知るのは難しい演目であった。詳しくはわからなかったが、演者の動きが大変美しかった。滑るような歩行、きりりとした表情、どの瞬間をとっても絵になるような身のこなし。あのような美しい振る舞いが出来たらと見とれてしまった。

狂言は「蚊相撲」。薪能の時にも同じ演目を見たが、多少違う構成になっていた。第一に言葉が大変にわかりやすい。現代語ではないが古い言い回しをしながらも聞き取りやすくわかりやすい言葉である。互いの掛け合いもテンポよく、随所に笑いを誘われた。そして蚊の精のユーモラスな動きが強調され、大名との相撲の場面では動きも速くなり、その中に形式的な見せ場を作り、擬音とともにおかしさを演出していた。

能は「紅葉狩(鬼揃)」。信州戸隠山紅葉狩りをしている女たちに誘われ酒宴に入った平維茂が酒のために寝てしまう。女たちは鬼の変化で、その手中に入ってしまうところであったが、夢の中に現れた末社の神のおかげで、その鬼たちを退治するという話しである。
この演目で驚いたのは人数の多いことである。女たちが7人、維茂たち一行が4人、地謡が8人、囃子方が4人、その他後見など30人近くの出演者があの舞台の上に乗るのである。しかし、女たちの衣装の豪華さ、それも6人もそろって舞うと圧倒する美しさである。紅葉の季節を表したのであろう朱の袴と金色を主体とした衣が、シンクロを思わせるような動きを見せる。一人一人の衣装は微妙に異なっているのだが、集団の美しさに圧倒された。
後半は鬼に変化した6人の女たちと維茂との戦いになるのだが、前半の優美な動きとうってかわって激しく速い動きになる。ここでも衣装の豪華さが見られる。
照明のなかった時代、薄暗いろうそくの明かりの中で演者の顔を明るく見せるために胸のあたりに金や銀の模様を置いたとのことだが、しっかりと筋の入った張りのある衣装は、着ていると言うよりも展示しているというような絢爛さである。
物語と言うよりも、能の形式美を堪能した夕であった。