XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

不安を煽るもの

shig552006-05-23

このところすっきりした天気が続かない。今日も朝から低い雲がたなびき、夕方からは小雨が降り出した。気温がほどほどなため、蒸し暑さがない分まだ過ごしやすいが、やはりすっきりした天気が待ち遠しい。

「人の口に戸は立てられない」と言われる。噂は人から人へ伝播していきなかなか制御することは難しい。それも、人々の興味があることや、不安を煽る内容だと瞬く間に広がるようである。
コミュニケーション学では①情報が乏しい時、②情報への渇望があるとき、噂の伝播が早いという。
このところ子どもが犠牲となる事件が続いている。親御さんたちにとっては心配でいられない状況である。しかし、どうすればいいのか対策が明らかでなく、何が起こるかわからないという漠然とした不安が広がっている。このような中では「・・・である」と言うような断定的な情報の渇望が起こる。「・・・らしい」と言うことも人の口を経るごとに「・・・である」と変質してしまう。マスコミによりある程度の情報コントロールが行われているので極端な変質は少ないようだが、小さなコミュニティーでの出来事では、この変質は侮れないものとなる。
子どもの通う学校での出来事など、その最たるものである。「○○君は乱暴のようだ」と言う情報は、その○○君を知っている保護者の間では具体的なイメージとして伝わるが、○○君を知らない保護者が聞いたときには「乱暴」という言葉が一人歩きし、「○○君は乱暴で危険である」と変質してしまう。「乱暴」と言う言葉のマイナスイメージが増幅され、乱暴=我が子に危険があると不安を抱く方向に変質する。そして、そのような噂が広がると事実とは隔絶しているにもかかわらず大きな力となり、「○○君は排斥すべき」という身勝手な方向に流れてしまう。実際の状況から離れ、言葉による連想の増幅によって不安も増幅されるのである。
困ったことに、学校との関係の薄い保護者が増えている。フルタイムの仕事を持ち、学校に出かける機会がほとんど無い。学校の情報は学校からの便りに頼っている。子どもから話を聞く機会もほとんど無い。何かあれば学校から連絡してくるであろうと考えている。
具体的な子どもたちの交友関係、生活状況を知らず、「学級の○○君は乱暴で事件を起こしたようだ」などという噂が飛び込めば、不安が一気に高まり電話をかけまくり不確かな情報からますます不安になっていく。子どもを育てると言うことよりも我が子を守るという考えが先行してしまうのである。
一面的な情報で右往左往する保護者が多くなっている。これは具体的な情報の不足、余分な情報の氾濫に原因を求めることが出来そうである。自分の置かれている状況をしっかり把握していないと「子どもを守ってきたけれど育てることが出来なかった」と言うことになりかねない。親は子どもを育てたいと願っているのだが。