XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

インテリジェンス

shig552007-02-03

節分と言うことで各地の神社等で豆まきが行われたようだ。その土地土地によるさまざまな行事が報道されていた。おもしろかったのはFMの番組の中でスタジオに豆をまき、その音をたよりにいくつ豆をまいたかクイズにしているものがあった。何もそこまでやらなくてもというばかばかしさだった。また新聞の一面を使った広告で、カラーで鬼のパンツの展開図が載せてあり、切り取って子どもには履かせて活用くださいというイラストが添えられていた。鬼のお面が使われることはよく目にするが、パンツが使われるとは奇抜と言おうか、商魂と言おうかCMクリエーターも苦労しているなと言う感じであった。また、節分につきものの鬼が各地に出没し、子どもたちを怖がらせたようだ。恐怖に泣きわめいている子どもの様子が見られたが、フォローをしっかりすることで心が育つのだと思う。子どもにとって未知なものは恐怖なのだが、それが具体的であることでかえって納得できるのだと思う。最近の大人の社会では目に見えない鬼が多すぎて不安だらけである。

冬幻舎「インテリジェンス 武器なき戦争」は手島龍一さんと佐藤優さんの対談形式をとった書籍である。佐藤さんの裁判が開かれ有罪判決が出たという新聞記事があったが、国策裁判、外務省内の内紛の様相が見えていて、当然の成り行きのように思えた。
この本はこれまでのいきさつを紹介しながらインテリジェンスのあり方、日本のその種の組織をどのように再編するかについて書かれている。あまり直接的には書かれていないのだが、この裁判は提訴されているような収賄という私的な利害が問題なのではなく、鈴木宗男さんという政治家が目指した外交と政権の方向の関わりの中で捉え直すべきものであるということが主題であるように読み取れた。
マスコミ報道のレベルと雑誌のレベル、書籍のレベルそれぞれを活用しないとものの見え方が違ってくる。テレビや新聞報道では政治家の私的利益誘導というニュアンスであり、外務官僚の汚職というように見えているが、本人のこうした文章を読むと表面的な現象の裏にある流れが見えてくる。雑誌報道ではスキャンダラスな事実の羅列は見られるが、それらの事実をつなぎ合わせるところが見えにくい。一歩下がって概観する意味での書籍の位置は大事だと感じた。
それぞれのメディアの担っている時間範囲が異なるためにこのような違いが出てくるのだが、ともするとニュースの世界だけで物事を見てしまいがちである。ニュースを受け入れる素地を作っておかないと思わぬ方向に流れてしまいそうだ。
高度情報化社会への対応として情報処理能力、思考判断力などプロセスの力が重視され教育が行われている。しかし、これまで人間が培ってきた文化的な遺産をしっかり継承しておかないと大きな枠組の中での自らの位置を見失うおそれがある。調べればわかると言うことと知識が血肉化して自分の中に入っているとは違うことである。思考判断では自分の中にあるものしか活用できない。情報収集によって集められるものはすべてではないからだ。
インテリジェンスに携わる人々は国益や誰かに認められるという大儀で動くという記述に人に生き方の本質的な部分を感じた。対談相手である手嶋さんはNHKのワシントン支局長として活躍し9.11の際にも画面に出ていたので、読みながら顔が浮かんでくるような錯覚があった。いろいろな意味でおもしろい本であった。