XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

本の整理・処分

ムギの開花

 早くも南の方では梅雨入りしたというニュースが入ってきた。一方では北海道は雪が降り一面が白い世界になっている映像がテレビから流れている。
 東京では昨日は午前中さわやかな太陽の下で気持ちのよい気候だったが、昼を過ぎたあたりから雲が厚くなり、夕方には激しい雨になった。そして気温が急激に下がり、上着がほしいほどになった。
地震が相変わらず続いている。さすがに大きな揺れは少なくなったが「やや強い」と形容される震度4程度の地震が各地で起きている。横になっていると背中がもぞもぞするような感じがして、地震への感覚が鋭くなっているようだ。揺れに対する恐怖というよりも「大きな地震が来るのでは・・・・」という不安が常にぬぐいきれない状況である。

 3月11日の地震では本棚の書籍が飛び出し、足の踏み場もない状況になった。これまで買い溜めてきた本が棚に収まりきれず平積みのまま部屋を埋め尽くしていたのだ。どれも思い入れのある本なのだが、そろそろ整理する時期である。とりあえず、今後読みそうもない書籍を集め近くの本のリサイクルショップへ持ち込んだ。「まだ誰かに読んでもらえればいい」との思いである。
 受付で店員に書籍を渡すと、しばらく待つように指示された。15分ほどすると呼び出され、「○○円なら買い取るがそれでよいか」と聞かれる。その提示された金額に驚いた。書籍を購入した金額の一割にも満たない金額なのだ。一冊一冊に思いがあり、まだ本としての価値は十分にあると思っていたので、そのような低い査定に驚いてしまった。これらの本はそんなに価値のないものなのか?
 しかし考えてみれば、自分が店に持ち込んだ本は「場所ふさぎ」の厄介ものとして処分したかったものであり、本の価値は人それぞれに負うところが大きいのだ。引き取った店としてもそれが流通するか否かは定かではなく、在庫の場所ふさぎになってしまう恐れもある。そのリスクを考えれば高い金額を付けるわけにはいかないのだ。
 冷静に考えれば納得するのだが、自分の本、あえて言えば自分の読書経験が否定されたような、評価されなかったことへのショックは大きかった。

 そのようなとき、地元の図書館のホームページが目に入った。予約状況のページである。人気のある本では千人以上もの人が順番を待っている。図書館でもそのような人気のある本は複数冊所蔵し貸し出しているのだが、要望に応じきれていないようだ。そこで、本の寄贈を受け付けていると掲示があった。寄贈された本で閲覧希望の多い本は図書館の蔵書として受け入れ、それ以外の本は希望者に配布してリサイクルしているとのことである。
 このような仕組みがあるのなら是非活用したいと思った。古書の店に持ち込んでむなしい気分になるよりも、ずっと気分良く「場所ふさぎ」の解消ができる。物である「本」はいつかは紙として処分されるのだが、せめて綺麗なうちはその中身・書かれていることを活かしてもらいたい。
 
 書籍が電子化されれば、純粋にデータとして扱われるのでこのようなことはなくなるのだろう。しかし、今、物として目の前にある本に対しては愛着がわいてしまうのも致し方がないと言い訳する自分である。