2006年3月26日にスタートし、2022年2月26日にこのブログへの投稿が500日になり、今回は600回目になった。日々の徒然とした事柄を書いてきたのだが、多くの皆さんに訪れていただいていることをありがたいと思う。感謝である。今回は私のある日の出来事を紹介する。
今日もこの局と交信した。この局は北陸地方にお住いのようで、もう300回近く交信している。毎回数十秒の短い出会いだが何とも充実感がある。この局はいつも移動運用をしてくれているので、その時どのような伝播になっているのか興味深いのだ。どんな状況から電波を出しているのかを想像しながら呼び掛ける。私もリグやアンテナを替え、これでも届くかという形で運用するので実験としての意味合いが強い交信である。
こうした何回も交信している局は長い時間をかけておしゃべりをしているわけではないが親しみを感じる。お目にかかったわけでもなく、ハンドルネームという交信のときに使われる名前は知っているが、お名前もお住まいも知らない。況して年齢などの個人情報は知る由もない。全くお空でのお付き合いである。それでも聞こえてくる信号にはその人なりの個性が窺えて、短い交信の中でも親しみがわくのだ。
おしゃべりをするのではなく、交信ができることそのことを楽しむ。私の小さな無線機と自作のアンテナから出た電波が相手局に届き、返信がもらえることを喜ぶのだ。
今しがたは気仙沼に移動しているお馴染みの局が聞こえてきたので呼んでみた。いつもながらの華麗なキー操作できれいな信号を送っている。多くの局が呼びかけて次々に交信をしている。うまく届くか不安ではあるが呼び掛けた。他の局の強い信号に隠れてしまえば相手局に届かない。タイミングが味方してくれれば届くかもしれない。呼びかけを繰り返すうちにこちらのコールサインの一部を呼んでもらえた。呼びかけを繰り返し、私だということが分かってもらえた。シグナルは229という微かに認識できるレベルだったようである。それでも信号の特徴から私だと分かってくれたのだろう。短い交信だが心が通じたと感じた一瞬である。
モールス符号は大変に効率の悪い通信方法である。一文字一文字を短点と長点の符号に変換し送りあう。欧文でも平文でメッセージを送っていると結構時間がかかる。況して和文でおしゃべりを始めると1時間を過ぎてしまうこともしばしばだ。言葉を交換するというコミュニケーションで考えたらとても悠長で非効率、高速通信の現在では忘れ去られてしまいそうなモードである。
電信は略号などを使い、通信形式を共通にして最小限の情報を交換するだけでもコミュニケーションをとるとができる。相手を認識し、交流することができる。お馴染みさんとの繰り返しの交信はこうした楽しさがあるから続いているのだろう。無線を通したお付き合いは空間を飛び越えて広がっている。