テレビ番組で、山口県の萩がどうして世界遺産になったのかということが取り上げられていた。城下町である萩の町の区割りが昔のままに保存されているのが、その主な理由とのこと。さまざまな要因が重なって、上級武士の住んでいた町の姿が残されているのだそうだ。特に、当時の居住区が高台であり、中央部の残されていた低地はあまり利用されていなかったが、明治以降の近代化の過程で、その低地に行政機関などが作られることで高台にあった町の区画が壊されることなく残っているのだという。
通常、新しいものを作るには、それまであったものを取り壊し、新たなものを作るのが通例である。限られた土地を活かすにはそうせざるを得ない。前のものを残しておきたくても、余裕がないのが現状である。
光が丘にあった清掃工場は、米軍家族の居住地であったグラントハイツが返還され、この地域の再開発が始まった当初に作られたものである。街自体を作る大規模な開発で、高層住宅や商業施設、交通機関や行政施設、公園や災害対応の貯水池など様々なものが作られた。その一環として整備された清掃工場である。
それは遠くからも見える、ランドマークともいえる真っ白な高い煙突を持ち、その先端には、よくオオタカが留まっていて獲物をねらっていた。このオオタカは隣接する光が丘公園のバードサンクチュアリに営巣している個体のようである。
そんな街になじんでいた清掃工場であるが、大都市のごみ処理を担う施設としてさらに機能を高めなくてはならず、老朽化してきたことなどから建て替えられることになったという。致し方ないスクラップ アンド ビルドである。
その解体が進んでいる。すでに高い煙突は見えなくたった。煙突の先端から徐々に輪切りにされ、内側を通じて排出されていったようである。外から見ていると煙突がだんだんに短くなっていくのが見られた。清掃工場は、たくさんの人が憩う公園や商業施設に隣接しているので解体による影響が周囲に及ばないよう工夫した工法が取られたようである。清掃工場の建物全体もシート状の構造物で覆われていて、多少、内部で行なわれている工事の音は聞こえてくるが、粉じんなどは出てこない。
このような密閉された状態での工事なので、もし内部で火災などの災害が発生したとき、どう対処するかという訓練も行ったと光が丘消防署の方から聞いた。さまざまな人々がかかわって取り壊しが進んでいる。
青空に輝いていた煙突がなくなってしまったのは寂しいが、新たなものを作るためのスクラップである。まだまだ難しい工事は続いていくと思うが、都市需要に対応した清掃工場としてどのようなものに生まれ変わってくるのかを楽しみにしたい。