XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

香取神宮を訪ねる

香取神宮由来

 サクラ、サハラ、カシマ、カトリ・・・東関東道を走っていると似かよった地名に惑わされることがある。だが、実際に歩いてみるとそれぞれの街の姿を知ることができ楽しいものである。
 先日、香取神宮を訪ねた。以前に鹿島神宮を訪ね大きな社に圧倒された思い出がある。大きな神社というイメージが強く、カトリとカシマを混同してしまっていた。こんなに近いところに大きな神社が2つもあるとは思っていなかったのである。ちなみに鹿島神宮常陸国一宮で香取神宮下総国一宮なのだという。
 大変に古い歴史のある神社で、長い参道を登っていくと荘厳な社に至る。今では道路脇に大きな駐車場が作られ、そこから門前町のような土産物や食べ物を売る店の間を通り、大鳥居をくぐる。全国の人々から寄進された石灯籠が参道の両脇に並んでいる。スポーツ選手など有名人のものも見受けられた。亀甲山(かめがせやま)という小高い丘陵上に社が設けられている。
 水屋で身を清め、楼門をくぐる。左右には左大臣・右大臣が鎮座している。楼上の額は東郷平八郎の筆によるものだという。
 本殿は黒漆塗りが施されたたいへんの重々しい作りになっている。檜皮葺の優雅な曲線の屋根が全体をしっかりとまとめている。
 
 古代のこの地域は、現在の霞ヶ浦印旛沼手賀沼などを含む大きな水面が広がっていて「香取海(かとりのうみ)」と言ったのだそうだ。鹿島・香取両神宮はその畔に祭られた蝦夷進出への中心的な役割を担っていたという。そのためこの2社は古文書の中にも数多く記載され、朝廷との関わりが強いという。宮中で元旦に行われる四方拝においてもこの2社が含まれているそうだ。
 東国三社というのがあるそうだ。この2社に加えて神栖市の息栖神社(いきすじんじゃ)をいう。この3社は北東の鹿島神宮、南西の香取神宮を直角二等辺三角形の底辺とし、息栖神社を頂点という位置関係になる。地図上で確認すると綺麗な形に並んでいる。息栖神社は鹿島神宮から南方向に約9000m、香取神宮から東方向に約8600mという位置である。
 葦原中国平定(あしはらのなかつくにへいてい)に係わる神々を祭るこれら神社を参ることは江戸時代から習慣化していたという。私も機会を見つけて、まだお参りしていない息栖神社を訪ね、古代に思いをはせてみたいと思う。