XRQ技研業務日誌

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ミニマム生活のすすめ

新潮文庫

”人にはどれだけの物が必要か 〜ミニマム生活のすすめ〜”
      鈴木孝夫 平成26年4月1日発行 新潮文庫

 筆者は慶応義塾大学名誉教授で専攻は言語社会学とのことである。すでに退任されていて、今は長野の山の中でミニマム生活を実践されているとのことだ。
 さて、この本の初版は平成6年11月に飛鳥新社から刊行されており、平成11年7月には中公文庫として刊行されたものである。今から20年も前に書かれた本であるが、内容は今にマッチしていて古さを感じない。逆に言えば鈴木先生は先見の明を持って時代の動きを見ていたのだとその慧眼に恐れ入る次第である。
 鈴木先生は「地救人」という言葉でその考えをまとめられている。地球資源の浪費によって環境問題が深刻になってきており、いつカタストロフィが起こるか知れない状況になっている。誰もが「何とかしなければ」と考えるのだが、鈴木先生は一人一人の日々の行動が大事だと説かれる。先生は慶応大学医学部に入学されて、その後文学部に移り、大学に残られて言語社会学という分野で教鞭を執っておられた。環境問題とは直接的な関わりの薄い分野の専門家である。ただし、日本鳥類保護連盟や日本鳥学会、日本野鳥の会の古参の会員であり自然環境に現状について研究をされている方でもある。だからこそ、地球に生まれた一人の生活者として、自然の中で動植物と一緒に生活する者として、現状に対してどのように行動すべきなのかをまとめられたのが本書だと思う。それは専門家が声高にいうような評論的なことではなく、一人一人が無理なくでき、継続可能な、現状の改善に向けて進むための方法を示されている。
 先生の分析である。人間の力がまだ小さかった時代、よりよい生活を求めて「もっと、もっと」と豊かさを求めて前に進んできた。十八世紀に起こった産業革命によって動力を活用することで大量生産が可能になり、大量消費の時代になった。この流れを推し進めてきたのが「ホモ・エコノミクス(経済人)」と「ホモ・ファベル(産業人)」だという。この二つの勢力が大きな力を持ち「もっと、もっと」と驀進してきたことによって今のような環境問題が深刻化して来ているとし、「ホモ・ソフィクス(哲学する者)」の不在を指摘している。
 日本には「もったいない」「おかげさま」「分相応の・・」など「もっと、もっと」と対になるような言葉がある。一方向の思考ではなく周りとの協調を考えた双方向の思考である。誰も豊かな快適な生活を願うのだが、これだけ恵まれた状況になっているのだから「もっと、もっと」ではない、身の回りを見回し活用できるものを再利用した、環境負荷の小さい生活をしていいのだ。
 本書の解説で同志社大学の濱矩子先生が書いている。「ホモ・ソフィクス」が不在だったのではなく、「ホモ・エコノミクス」も「ホモ・ファベル」も哲学があったはずであると。
 その哲学を暗黙のうちに認めてきた私達自身の哲学を見直し、生活者としての行動を見直し、「ヒト・モノ・カネ」の使い方を考えていくことがこれからの方向だろうと思った。