XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

多様性を楽しむ

テントの店での思いがけない出会い

 やっと高気圧が本州を覆うようになり、文字通り五月晴れになった。
これまで、「今日は暖かくなるでしょう」という気象情報を信じて出かけると、夕方にはコートが欲しくなる寒さを何度も経験しているので、いつになったら暖かくなるのか、待ち続けていた今年の気候である。

 大型連休と言うことで、割引料金が適用されている高速道路はどこも大渋滞のようである。景気が少し上向いてきたようで長距離の移動が多くなってきたそうだが、まだまだ近場の人気も根強い。
 「時間差を付けて」ということで、早朝、朝食もとらずに車に乗り込み、近郊の陶器まつりに行ってきた。笠間や益子が有名で、たくさんの人が押し寄せる。わりあい早く、8時前には到着したのだが、駐車場はすでに3分の2が埋まっている。係の人に誘導され、無事、駐車することができた。腹ごしらえを済ませて、街の中を散策である。
 陶器というのは基本的に土をこね、形を作り焼き上げたものである。どのような形にするか、大きさをどの程度にするか、また、釉薬は何を使い、どのように乗せるか、模様は何を描くのか、等々デザインの部分でさまざまな作品が生まれる。街の中にはたくさんのテントが建てられ、露店でも溢れるばかりの陶器が並べられている。一人一人作者が異なれば作品にも大きな違いが出てくる。
 陶器はその用途から、食器、花器、オブジェなどがある。当然、その用途によって形や模様、色も決まってくるのだが、そのバリエーションの数はおびただしい。街を歩いて、いろいろな店を巡っても、同じものに出会うことは少ないくらいである。一つ一つが違う表情を持っている。何が欲しいのか、どんなものが好ましいのかと自分なりの選択基準を持っていないと、この大量の陶器の中から自分の欲しいものを選び出すのは難しい。迷いに迷い結局何も買えないか、両手に重い荷物をどっさりと提げることになるかのいずれかである。
 この多様性を生み出すのは作者の創造力なのだが、一人一人の作者の思いがこれほどに様々であることが見えるのもとてもおもしろい。手先の造形で、また、色や釉薬などの使い方、焼き方などのインスピレーションからたくさんのバリエーションが生まれてくるのだ。
 
 この陶器まつりは、作者自身が店を出していることが多い。作品について話をしながら購入することができる。ある店でこんな話を聞いた。茶碗を作って、自分の気に入った作品ができたそうだ。売りに出すのがもったいなく思えるもので、迷ったが、どの程度の評価になるかと2万円の値段を付けて店に出した。しかし、なかなか売れず、値段を1万円に下げ、8千円に下げ、5千円、3千円と下げていった。そして、やっと買い手が付いたそうだ。それを買ったのは、よく店に来ていた人で、その作品に以前から目を付けていたのだという。
 作者がよいと思っても、それを欲しいという人がどれほどいるかによって値段が決まる。経済の原則そのものである。原材料費+手間の時間価+造形創造価値が価格になるのだが、この中で造形創造価値が大きなウェイトを占めている。感性に基づくこの価値は、人それぞれであるからこそ、おもしろいのだと思う。
 先の値下げをして作品が売れた話には後日談があって、それを買った人が友人にその作品を見せたところ、いたく気に入り、その作者を訪ねて同類の作品を買い求めた。そして、その評判が広がり、作品の値段がどんどんと上がっていったそうである。多くの人に好まれる造形創造価値が世に出たと言うことであろう。

 さて、今回の散策では2つの買い物をした。一つは造形がしっかりした丁寧な作りで、釉薬も高台にまでかけられた、一見して青磁のような飯茶碗である。これは日常食器としては結構な値段であった。もう一つは小振りな茶碗で、私は抹茶を点てるのに使おうと思って購入したものである。こちらも一見すると志野のような風合いで、一目で気に入ったものである。ただし、値段は400円。それなりのものなのだろうと思われるが、自分としては気に入ったものである。数値で表現できない造形価値をぶらぶらと散策しながら探し求めた一日であった。

 ○○鑑定団などという、専門家による鑑定とは異なっても、自分なりのおもしろいものを探し出すのは楽しいことである。さて、この器で飲むお茶はどんな味がするのであろう、楽しみである。