XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

ターシャの庭

shig552008-06-22

 21日の夕刊に、アメリカの絵本作家で「ターシャの庭」でも有名なターシャ・チューダーさんが92歳で亡くなったとの記事があった。心よりご冥福を祈りたい。
 ターシャさんはマザーグースの絵本などでも活躍されたが、自ら世話をし広げてきた独特の庭や、その庭と一体になったライフスタイルでもさまざまな影響を与えてくれた。
 特に印象深いのは、さまざまな草花が混然と咲く庭である。昔、技術科か家庭科の授業で花壇のデザインをやったとき、幾何学的に構成した花壇や同系統の色や種類の花を整然と植えることを教えられた。それはそれできれいなのだが、ターシャの花壇はその概念を覆す美しさがある。整然と並んでいるのではなくそれぞれ、色も形も大きさも異なる花々が混然と、そしてそれぞれが生き生きと存在している庭である。混然としているからこそ一つ一つの花が引き立っており、安らぎを与えてくれる景色になる。
 山に登ったとき、「お花畑」にはいろいろの花が咲いている。花の咲いていない草や木があり、ガレ場がのぞいているところもある。だからこそ、その一隅に可憐に咲いている一輪の花が美しい。一つ一つの花を愛でるだけでなく、全体としてさまざまな花が咲く景色を楽しむのが山登りの醍醐味である。
 ターシャの庭はそのような美しさに気づかせてくれた。多くの人が私と同じように感じたのであろう、さまざまなところで混然とした花壇が増えている。種苗店にも「黄色系統の花の種」とか何種類かの草花を混ぜた種子が売られるようになった。道路の脇に作られる小さな花壇にも、赤や黄色や白、オレンジと言ったさまざまな色の草花が混然と植えられているところが多くなった。個人のお宅でもターシャの庭を彷彿とさせる庭によく出会うようになった。

 ターシャの生き方は「手作り」に特徴があったように思う。手近にあるものを活用し、手間ひまを掛けて作っていく。庭のハーブを摘み取って、フレッシュハーブティーを楽しみ、その際のお菓子は手作りのクッキー。子どもの絵本を自らが描き、遊び相手の人形は一針一針縫い合わせたもの。クリスマスには森から切り出したもみの木に、手作りのジンジャークッキーを飾る。蜂蜜をとった後の蜜蝋から一年分のろうそくを作り、収穫したりんごを搾って保存のきくジュースにする。
 テレビで放映されたところでしか知ることは出来ないが、ターシャの19世紀風のライフスタイルが今の生活に欠けている何かを教えてくれたように思う。自然との調和、自給自足という生活の中で心が満たされることがあるようだ。利便性を追い求める中で排除されてきたものの中に、大事なものがあったのだ。
 ものを使うことが生きているということではなく、生きている中でものを作り、使う「日々生活する」ということこそ大事なのだと思う。働く場と生活する場面が離れてしまい、意識の面でも分離してしまったのが現代である。生活の収入を得るために全精力を使い、自分の生活を見失ってしまうことがある。仕事の中に生き甲斐を見いだし、仕事をすること自体が「生きている」と感じる人もいる人もいる。また、仕事はそれなりにその達成感を楽しみ、休日には別の楽しみを持っている人がいる。しかし、仕事は生活の糧を得るものと割り切り、どこかにあるだろう生き甲斐とを探している人の方が多い。だからこそ、ターシャの、生活そのものが生きることに直結した生き方に共感を覚える人が多かったのだと思う。

 スローライフは流行語になっている。テレビで見たターシャの庭のような情景を今の日本の中でも見られるようになってきた。同じように感じ、実践する人が増えている。エコロジー省エネルギー、もったいない・・・どれも同じ方向である。この流れが社会の大きな流れを変えていくように思う。

 さて、今日は先日漬け込んでおいた梅シロップが出来ている頃である。どんな出来具合かを楽しむことにしよう。