XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

ものの価値と値段

shig552007-05-12

汗が出るほど気温が高くなったり、上着が欲しいほどの気温だったり、天候の変動が激しいこのごろ。今日は朝から晴天。気温も20度を超えほどよい天候であった。夕べまでの強い風がおさまり過ごしやすい。

花で有名な公園を訪ねた。おもしろいと思ったのはその入園料だ。「花の咲き具合により期間・料金が変動しますのでお問い合わせください」と書かれている。そして3/1〜4/13は300円〜900円、4/14〜5/20は900円〜1300円と記されている。ちなみに12/1〜2/29は200円だそうだ。
人々はその公園の花を目当てに行くので、花の咲き具合によって入場料が変わる。教科書通りに供給と需要の関係で入場料が決まるわけだ。
宿の料金にも同じようなものがある。休前日は平常料金よりも高くなるところが多い。需要が高くなれば供給が一定の場合には価格が上がるわけである。

以前、中古のパソコンを安く手に入れた。しっかり動作をするパソコンである。喜んで持ち帰り動作させようとしたとき、あることに気づいた。電源アダプターがないのである。内蔵の電池は弱っているし電源アダプタなしでは動作させることができない。しかたなく電源アダプタを探したが、その値段は購入した中古パソコンよりも高価なのだ。電源アダプタは100Vの電源を整流し所定の電圧の直流にして供給する装置である。パソコンと比べればその機能は単純である。私が使いたいのはパソコンの機能なのだが、電源がなくてパソコンも使えない。その電源アダプタと同じ機能を持つものは安価に手にはいるのだが、パソコンに接続するプラグが手に入らないと使えない仕組みになっているのだ。パソコンのメーカーは独自規格のプラグを作り、その流通を押さえることでアダプタを掌中に収めていたのだ。

公園であれ、旅館のサービスであれ、需要と供給の関係で値段が決まり、パソコンのアダプタもその希少価値故に値段が高くなっている。経済活動とはものやサービス自体の価値によって値段が決められるのではなく、流通という要素によって値段が定まっていくもののようだ。
でも、これらは大量生産と流通という仕組みができてきたから起こってきたことであり、自給自足の中ではそのものの利用価値・存在価値によって値段が決まる筈だ。
ものやサービスそのものがもつ価値に基づいて値段が定まる、このことの方が本質的なことなのではないだろうか。

母の日、街の至るところで花束が売られている。花の値段も急上昇。しかし、その日が過ぎると値札の差し替えが始まり、同じ品物がずっと安く売られている。
私なら、その日を避けて同じ値段でよりよい花を買いたいと思う。流通経済は便利だが恐ろしい面をもっているものだ。