XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

カーナビゲーション その2

shig552006-04-23

今日は何事もなし。休むことが出来た。ゆっくりと公園を散策。並木の銀杏に小さな葉が出てきて淡い緑色に染まっている。葉の形は同じだが、本当に小さな可愛らしいベビーリーフである。黄葉の並木にも見とれたが、今日の黄緑の並木にもしばし見とれてしまった。

カーナビを使って運転することにもだいぶ慣れてきた。
ふと考えたことがある。HALのことである。コンピュータのHALが人格を持ち、人間の思うとおりに動かなくなってしまう話のことである。

カーナビは目的地を設定し、動き出すと「左車線に注意してください」とか「事故多発地点です」「700m先を斜め左方向です」などとこと細かく指示を出してくれる。知らない土地を目指すときにはことのほか便利である。しかし、その通り運転できるとは限らない。左折地点を通り過ぎてしまったり、曲がる道を間違えてしまったりする。すると、カーナビはルートを探し、また案内を始める。道に迷っているときにはとても頼りになる相棒である。
しかし、帰路など、自宅に近づくにつれ指示されたルートと違う道を走り始めることがある。ルートをはずれるごとにカーナビは新たなルートを探し懸命に案内をしようとする。それをさらに外れた道を進む。またルートを探し出す。人間のナビゲーターなら怒り出してしまう状況である。機械であるからプログラム通り、何回でも冷静に案内を続けているが、もし人格・感情を持ってしまったら、なんと言って怒り出すだろう。
最近の技術は映画の世界を実現してしまった。音声で指示を聞くことが出来、それに音声で答えるようになってきた。まるでHALと話しているようである。ただ、HALと違ってプログラムされた以外の言葉はしゃべり出してはいない。
不思議なもので、それでもカーナビの指示を無視することを繰り返すと、後ろめたい気分になる。あまり無視をしてはかわいそうかなという気持ちが出てくる。そしてカーナビをoffすることになる。
根本的に、機械は機械なのだとわかっているが、インターフェイスが人間的になればなるほど人間を相手にしているような錯覚に陥る。感覚・感情の問題として機械の人間に与える影響は、気づかないうちに広がっているのかもしれない。