XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

子どもを叱れるのは

shig552006-04-12

子どもはさまざまなトラブルの中で成長していく。自分の中に規範を作っていくとき壁になるもので、鍛えられ、考え、自問の中から形作られてくるものが自分=規範だと思う。
何でも受け入れられる中では自分の位置が掴めず、舵取りが出来ない。仲間でたむろしているとある範囲内で自分が認められ、安心感が得られるが長くは続かない。地に足の付いていない感覚から不安になるのだ。
価値観の多様化という崩壊現象の中で、何でもありの社会になってしまった。大人自身が自分の規範を持たない。マニュアルを求め、どこかにあるだろう正解を求めている。自分自身の中に回答を求めず、外に答えを求めている。
誰でも我が子を愛おしく思う。我が子が他人から厳しい扱いを受ければ我が子をかばうのは当然である。我が身を傷つけられる以上に痛みを感じるだろう。
しかし、子どもは時には大きな壁にぶつかったり、過ちに対して厳しい叱責を受けることで一回り大きくなることがある。ぬるま湯の中だけで育つのでは子ども自身が物足りなさを感じている。しっかりと自分の存在を感るような瞬間が必要である。
誰がその役割を果たすのか。身二つの親だからこそ出来るのではないか。わが子を思うからこそ厳しくならなくてはならないのではないか。
一人の人間として自立するためには、自分と向き合い、自分の意志で歩けることが必要である。その状況を作ってやれるのは親しか居ない。学校や地域社会は他人である。金科玉条は掲げられても命をかけて叱責してはくれない。優しい世の中である。優しさの中の毒が子どもたちを蝕んでいる。子どもだけではない、大人たちも蝕まれている。