XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

医療の向こう その2

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「加齢は医療の向こう」というようなことを書いたことがある。達観した言い方だが、現実はそれほど生易しいものではなさそうだ。
加齢に伴って身体のあちらこちらに不具合が出てくる。痛みがその最たるものだが、痛みがあると動作が不自由になるだけでなく、気分も滅入り生活の質が一段と低下する。医療の向こうだなどと悠長なことを言っていられず、考えられるさまざまなことを試すことになる。整形外科医院が朝から行列を作っているのが頷ける。
私も肩、上腕部の痛みで困っているのだが、針やマッサージ、磁気や温熱など整骨院での治療もあまり効果がなく、結局、整形外科での鎮痛薬対応に落ち着いている。何回かの試行錯誤で鎮痛薬と抗嘔吐剤のバランスを調整することで、現在は朝晩の鎮痛薬服用で痛みを我慢できる範囲に閉じ込めることが出来ている。痛みが和らぐことで生活の質がずいぶん向上して助かっているのだが、また別の問題が出てきた。
定期的に内科の診察を受け、血液検査をしているのだが、腎臓の障害を示す数値が上昇し始めているのである。長期間の鎮痛剤服用が作用しているようだ。内科医からは腎臓への負担を軽くするよう別の鎮痛剤を勧められるのだが、整形外科ではその鎮痛剤では効果が弱すぎて対応できないと言われ、痛みに対抗できる薬の服用方法を変え、水を多く飲むようにして対処していこうということになっている。
薬によって悪化させてしまった腎臓の機能は回復させることが難しいと言われている。これから鎮痛剤を飲み続けることは腎臓を始め内蔵への負担を増し、好ましいことではない。しかし、痛みを抑え、生活の質を維持するためには鎮痛剤の服用を止めるわけにもいかない。寿命を考え、内蔵機能の低下と痛みを抑えることの折衷点を見出すことが求められている。
加齢は確かに医療の向こうなのだが、旅立つまでは医療の世話になっていかなくてはならない。綱渡りのような日々が続くが、自分らしく生きるためには生活の質も大事にし、痛みにも我慢しながら毎日を楽しく過ごしたいものである。

桂盛仁 江戸金工の世界

 

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 超絶技法などと言われている明治、江戸期の精細な加工技術は刀剣の装飾を主な目的として、職人のたゆまぬ努力と創意工夫の中で磨かれ発展してきたもののようである。帯刀が禁止され刀剣が作られなくなると、その技法は帯留めなどの装身具に転用され、技術が受け継がれてきた。桂盛仁はその技術を受け継ぎ、人間国宝に指定されている金工作家である。
その作品を展示する「人間国宝・桂盛仁 金工の世界 -江戸彫金の技―」が練馬区立美術館で開催されている。作家本人によるギャラリートークがあるというので参加した。

 「江戸時代初期から続く彫金の一派.柳川派の流れを汲み.明治―大正―昭和期にかけて、煙草入れなど装身具の彫金で大人気を博した二代豊川光長、桂光春を輩出した流派で、伯父である光春を継いだのが盛仁の父、桂盛行【かつらもりゆき/1914~96】となる。父.盛行のもとで修業した桂盛仁は、打ち出しや彫金、象嵌.色絵等の技法を駆使し、日本伝統工芸展などで高い評価を得てきた。宮内庁買い上げ.文化庁長官賞を受章するなど研鑽を積み、2008年に重要無形文化財「彫金」保持者「人間国宝」に認定されている。昨今、明治期の卓越した工芸作品を、超絶技巧と称し、ロストテクノロジーとしての評価がなされてきているが.そうした工芸の技倆が脈々と受け継がれてきていることは柳川派、そして桂盛仁の金工を見ると明らかである。(練馬区立美術館HPから)                                      

 一枚の金属板から、それを伸ばしたり、縮めたり、掘ったり、埋め込んだりなど様々な技法を駆使して作品を形作っていく。カエルの帯留めを作っていく過程を追ったビデオを見た。作品のイメージをスケッチし、それを粘土を使って立体にしていく。全体の様子を見て修正し、帯留めとしての全体像を決める。作品の構想がまとまると、いよいよ制作に入る。地金となる四分一という金属の板に輪郭を写し取り、焼きなましをしながら裏側から膨らみを叩き出していく。硬い金属のため何回も焼きなましを繰り返す。概ね膨らみが得られたら、表側から形を整えていく。伸ばすところ、寄せていくところタガネの種類を変えながら繰り返し繰り返し形を整え、最初の作品イメージに近づけていく。金槌とタガネをつかった作業の繰り返しである。その作業に使われるノミやタガネの種類は途方もないものである。作品のカーブや細かさなどに応じて使い分けられる。作品の形が出来上がると周りにノミが入れられ、切り取られる。
 ここまでの作業に数カ月かかることもあるという。しかし、作品はまだ土台の部分ができた段階であり、これから装飾が始まる。線彫りや象嵌などの技巧が使われ、作品が仕上げられていく。
 金工では、金属そのものの特性が生かされるように使われ、彩色したりすることはないのだという。色を出したければその色の金属を埋め込む、または金属の化学反応を利用して変色させていく。彩色するのと違い、狙った色を出すのは至難の業だという。
 仕上げは表面を磨き金属特有の光沢を持たせて、完成する。
 分業ではなく、一人の作家がすべての作業を行い、作品を仕上げていくので、〇〇の作品というだけで価値があるものとして見られているのだそうだ。
 桂盛仁さんのギャラリートークは展示室の作品に囲まれた中で行われた。何重にも人垣に囲まれ、人と人の隙間から講演者の顔がチラチラと見えるような状況だったが、その話に引き込まれ、金工の世界を垣間見せてもらったひと時であった。「人にホォーと言ってもらえる作品」を目指しているという作者の言葉が印象に残っている。

製本サービス

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 すべては無常であることはわかっている。形あるものは壊れ、記憶は失われ、思いは薄れていく。記録は消され、失われていく。そうだとわかっていても、残したいと思うのが人間なのだ。
 記憶の曖昧さから、さまざまな形で記録がなされてきた。粘土板に、木簡に、羊皮紙に、そして紙に、文字や図を用いて記録を残してきた。音や映像についても蝋管にレコードにテープに残されている。
 その記録が最近ではほとんど電子データとして残されるようになってきている。電子データの利点は複製が容易であること。編集も容易であり、保管にも場所を取らない。さらに検索が容易にでき、求める情報を素早く取り出すことが出来る。唯一の欠点は人間が直接、人の持つ五感によってそれを認識することが出来ないことだ。パソコンなどを介さなければそのデータの内容に触れることが出来ない。

 私はだいぶ以前からブログをやっている。日々の生活の中で気になったことなどを書き綴ったものだが、そのブログサービスが閉鎖されることになり、他のサービスに移行しなければならなくなった。作業が無事にできたのだが、そのデータを今後どのように処理したらよいか考える機会となった。
 心無圭礙 囚われないことが大事だとはわかっているが、長年積み重ねてきたものを失ってしまうのも寂しい。せめて自分の生のあるうちは手元に残したい。そこで、製本サービスを利用することにした。ブログなどのデータを送ると、本の形のまとめてくれるサービスである。本という形になれば、手軽に手に取ることが出来、所蔵できる。
 作業を進めてみると、思いのほかデータが大きいことがわかった。本にする場合、最大で480ページだと言うが、収まり切れない。3分冊にすれば収まるとわかったが、とりあえず、2巻のみ製本をし、現在進行形のブログを含む最近の部分は将来の製本とすることにした。写真部分も残したかったのでカラーの印刷にしたが、結構費用が掛かった。それでも私の道楽の一つとして散財することにした。

 ブログサービスは利用料金が支払わなくなれば閉鎖されるだろうし、そうしてデータが消去されるのは致し方ない。製本されたものも私と一緒に煙となるのもいいだろう。なかなか無所得に成れないのが人間の性のようだ。生きているうちの煩悩である。

お手軽MLA

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 無線機からの電波が出入りするのがアンテナである。出やすいように、入りやすいようにするにはその周波数の1/2~1/4波長の長さが必要だと言われている。アマチュア無線でよく使われている7MHzバンドでは、波長が約40m、半波長や1/4波長でも20mから10mになる。この長さのアンテナ線を引き回すのは結構大変である。
 そこで手軽扱えるアンテナが欲しいのだが、そのために考えられたのがMLA(Micro Loop Antenna/ Magnetic Loop Antenna)である。ループとキャパシタでその周波数に同調させ、そこに電波を乗せる仕組みである。ループの径はキャパシタとの相関で小さくすることもできるので小型化が可能なアンテナである。
 本来、電波が載りやすいようにループには銅パイプのような伝導のよいものが使われるが、銅線でも使えそうである。また、キャパシタ部には高電圧が発生するので耐電圧の高いコンデンサが必要だが、小電力での使用を前提とすれば、手持ちのものでも使えそうである。
 手軽に使えるアンテナとして、2.5m長の銅線にポリバリコンを取り付けループを作った。同調範囲を広げるため、ポリバリコンには100pFのコンデンサを並列につけられるようスイッチ切り替えの機構を付加してある。給電は小ループを添わせる方法が一般的だが、ここではトロイドコアを介してリンクコイルを用いる方法を使うこととする。このリンクコイルは周波数帯によってその巻き数を変えたほうが効率が良いため、スイッチでリンクの巻き数を切り替えられる機構とした。
 さて、問題は実用となるかである。トランシーバーに繋いでみると受信は良好である。各地の信号が聞こえてくる。相手を呼んでみるが、なかなか返答をもらえない。仕方なくCQ呼び出しをしていると応答があった。強力な信号である。相手は同じ区内の方で5Wでの運用とのこと。こちらの信号も559で届いているとのこと。電波が出ているのは確かめられた。40mの波長の電波を直径80cmほどのループに載せているので効率が良いわけはない。それでも電波は放出され、通信ができることが確かめられた。
 ループはしっかりした円形にすることが理想的だが、今回の実験では真ん中に支柱を入れただけのひし形の伸展である。この形状なら収納が容易で手のひらに乗るくらいの大きさに納められる。伸展しても周囲に迷惑をかける大きさではない。手軽に扱えるアンテナとすることが出来た。
 SWRの測定では7MHz、10MHz、14MHz、18Mhz、21MHzのハムバンドで使えそうな値である。簡単に製作することが出来、扱いも手軽、携行するにも嵩張らない。ただし、効率はあまり望めず、QRP専用という特性のアンテナである。

夜の暗さを楽しむ

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 海外のドラマを見ていると、部屋の中の灯りが少ないことに気付く。ハリーポッターなどでも街灯がぼんやりと灯り、家の窓から微かな光が漏れ出ている情景である。夜がその暗さを残している。日本では行灯の明かりから裸電球の明かり、そしていつの間にか天井のシーリングの明かりへと変化してきた。それはどういう経過か定かではないが、部屋全体を照らすもので、蔭のほとんど無い明かりである。
 夜になっても昼と同じような生活ができ、雰囲気も昼と違わない。このような証明になれてしまうと、海外の影のある照明に何か違和感を感じていた。
しかし、生活するのに必要な明かりは手元が見えれば良いのであり、煌々と部屋全体を明るくする必要はない。まして事務作業をするのでもなく、ゆっくりと休むための部屋ならもっと暗くても良いのではないだろうか。
 必要なところに、つまずく恐れのない程度の明かりが灯っていれば、手元を照らすスタンドのような明かりがあれば困ることはないだろう。影がある照明の方が空間に深みが増し、気持ちも落ち着いてくる。LEDの目を刺すような白色光ではなく、電球色といわれる橙色めいた明かりの方が温かみがある。
経済が急速に発展していた頃、子どもたちの目を守るために、「勉強机の蛍光灯を灯したら部屋全体を明るくして、明暗差を無くし、目を疲れないようにしましょう」というコマーシャルがあった。考えてみると、勉強机の蛍光灯はそれほどに強烈な明るさだったのだろうか。明暗差で目が疲労するほど部屋が暗かったのだろうか。明暗差で疲れないようにとの配慮がいきすぎていたように思える。経済の発展と期を一にしていたので、消費拡大という波に飲み込まれていたように思うのだ。
 天井のシーリングライトを消し、いくつかのスタンドライトを灯してみた。部屋の中に影ができ、ものが立体的に見えるような気がする。生活するのに困ることはなく、必要な場所に明かりを灯せば事足りる。気分的にも落ち着いた雰囲気になる。ちょうどキャンプで焚火を囲んでいる気分である。
 夜を敢えて昼と同じようにする必要はない。夜は夜の特性を楽しめばよい。暗いというのは夜の特性であり、その特性を生かす方が生活が豊かになるのではないか。

 つや消しをしていないガラスの電球の中に、電球色LEDで作られたフィラメント状の発光部がある装飾電球を手に入れた。そのままではさすがにLEDの発光が目に入りまぶしいので、和紙でシェードを作り、被せた。LEDなので発熱はわずかである。周囲への十分な明るさがある。部屋の中に吊し、天井のシーリングライトを消して、明暗のめりはりのあるの明るさを楽しんでいる。

セグウェーツアー

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セグウェーツアー
先日、武蔵丘陵森林公園でセグウェーのガイドツアーに参加した。
これは、セグウェーという、直径30cmほどの2輪の間にステップがあり、その上に立って重心を移動させることでは前後、左右に自由に動くことの出来る乗り物を使い、ガイドさんが鳥や植物など園内の自然を説明してくれるツアーだ。
事前にインターネットで申し込みをし、当日は30分ほどセグウェーの乗り方についての講習を受け、その後2時間ほど園内を散策する。散策と言ってもガイドさんの後を一列なって着いていくのだが、セグウェーの操縦ハンドル手元に、ガイドさんの声が伝えられるスピーカーが付けられているので説明を聞きながらの散策となる。
園内は広く、徒歩で回るのは結構きついのだが、この乗り物を使うことで坂道でもすいすいと登ることができ、草花の中も不安なく動くことができる。スピードは重心の傾きかたで調整することができ、広い道では自転車と同じくらいの時速12㎞以上も出すことができた。また、他の人がいる場所では人が歩くよりもゆっくり動くこともでき、ツアーをしているうちにセグウェーが身体の一部のように、自由に方向も速さも思いのまま動かせるようになる。重心の移動で膝の部分に力が入るのか、多少疲れは感じるが、長距離を歩いたという疲労感はない。
このセグウェー、乗るだけでも面白いのだが、日本では公道での使用は認められていないようだ。現在、公園などの施設を使ってツアーが行われているという。
秋の一日、ほんの2時間ほどだが赤いじゅうたんのようなケイトウやソバの畑を見て、ダリア園では大輪の花の中を散策し、ハロウィン用の飾りつけを楽しみ、途中では草木染の解説を見ながらお茶とお菓子の休憩をし、園内をほぼくまなく散策することができた。ガイドさんの話から、いにしえのこの地域にあった鎌倉街道の話や自然保護活動についての蘊蓄、ガイドさんの地元の北海道と関東の自然の様子の違いなど盛りだくさんの内容で楽しいひと時を過ごすことができた。今回は2回目の参加だったが同じ公園でも全く異なった体験ができるので、また機会を見て参加したいと思っている。

MTR5B トラブルシューティング

 

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 それは次のような症状から始まった。
 いつものように17mバンドに出ようとスイッチを入れると、20mバンドの表示になっている。スイッチの設定を確認すると18MHzの位置になっている。スイッチの接触不良が起きてしまったのかと、ポジションを変えてみるが表示の変化はない。本来、このスイッチを変えることで他のバンドに設定し直すことができるのだが、全く動作しない。受信のノイズは聞こえているし、液晶のバックライトも点灯している。
 ケースを開けて基板の点検をする。特に異常は見られない。スイッチを何度も動かしてみるが変化がない。その内に、液晶の表示が消えた。聞こえていたノイズも聞こえなくなった。バックライトは点灯しているので電源は供給されているようだ。
 故障してしまったと覚悟し、どのようにメーカーに連絡しようか考える。何しろ、USAからの個人輸入である。修理保証などと言う契約はしていない。とりあえず、休憩。
 風呂に入っている時、ふと閃いた。MTR5Bは時計機能があるのでバックアップ電池が入っていたはずだ。故障の症状が時間経過と共に重篤になってきたのはコンデンサや電源関係が考えられる。このバックアップ電池が消耗しているのではないか。
翌日、適合する電池を探し出し、交換した。みごとに、復活したのだ。この電池が消耗し、メモリーのバックアップができないため、マイコンがデータを読み込むことができず、さまざまな症状が出ていたようである。

 機器の故障というと、どうしてもデバイスの破損や回線の不具合を考えがちである。マイコンがなかった時代はすべてそれが原因だった。しかし、今ではほとんどの機器にマイコンが入っているので故障に対してもソフトウェアの不具合を考慮に入れなくてはならないのだ。
 最近報道されたいくつもの事故。地震の後の大規模停電。鉄道の運行が停止する事故。ATMが使えなくなる事故。どれもソフトウェアの不都合が原因となっている。規模こそ違え、今回の故障もマイコンが正常に機能しないことから起こるものだった。時代は変わっている。トラブルシュートも視点を変えて行かなくてはならないという教訓である。