XRQ技研業務日誌

ものづくりを楽しんでいます。日々の暮らしの中に面白そうなものを探しながら

お手軽MLA

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 無線機からの電波が出入りするのがアンテナである。出やすいように、入りやすいようにするにはその周波数の1/2~1/4波長の長さが必要だと言われている。アマチュア無線でよく使われている7MHzバンドでは、波長が約40m、半波長や1/4波長でも20mから10mになる。この長さのアンテナ線を引き回すのは結構大変である。
 そこで手軽扱えるアンテナが欲しいのだが、そのために考えられたのがMLA(Micro Loop Antenna/ Magnetic Loop Antenna)である。ループとキャパシタでその周波数に同調させ、そこに電波を乗せる仕組みである。ループの径はキャパシタとの相関で小さくすることもできるので小型化が可能なアンテナである。
 本来、電波が載りやすいようにループには銅パイプのような伝導のよいものが使われるが、銅線でも使えそうである。また、キャパシタ部には高電圧が発生するので耐電圧の高いコンデンサが必要だが、小電力での使用を前提とすれば、手持ちのものでも使えそうである。
 手軽に使えるアンテナとして、2.5m長の銅線にポリバリコンを取り付けループを作った。同調範囲を広げるため、ポリバリコンには100pFのコンデンサを並列につけられるようスイッチ切り替えの機構を付加してある。給電は小ループを添わせる方法が一般的だが、ここではトロイドコアを介してリンクコイルを用いる方法を使うこととする。このリンクコイルは周波数帯によってその巻き数を変えたほうが効率が良いため、スイッチでリンクの巻き数を切り替えられる機構とした。
 さて、問題は実用となるかである。トランシーバーに繋いでみると受信は良好である。各地の信号が聞こえてくる。相手を呼んでみるが、なかなか返答をもらえない。仕方なくCQ呼び出しをしていると応答があった。強力な信号である。相手は同じ区内の方で5Wでの運用とのこと。こちらの信号も559で届いているとのこと。電波が出ているのは確かめられた。40mの波長の電波を直径80cmほどのループに載せているので効率が良いわけはない。それでも電波は放出され、通信ができることが確かめられた。
 ループはしっかりした円形にすることが理想的だが、今回の実験では真ん中に支柱を入れただけのひし形の伸展である。この形状なら収納が容易で手のひらに乗るくらいの大きさに納められる。伸展しても周囲に迷惑をかける大きさではない。手軽に扱えるアンテナとすることが出来た。
 SWRの測定では7MHz、10MHz、14MHz、18Mhz、21MHzのハムバンドで使えそうな値である。簡単に製作することが出来、扱いも手軽、携行するにも嵩張らない。ただし、効率はあまり望めず、QRP専用という特性のアンテナである。

夜の暗さを楽しむ

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 海外のドラマを見ていると、部屋の中の灯りが少ないことに気付く。ハリーポッターなどでも街灯がぼんやりと灯り、家の窓から微かな光が漏れ出ている情景である。夜がその暗さを残している。日本では行灯の明かりから裸電球の明かり、そしていつの間にか天井のシーリングの明かりへと変化してきた。それはどういう経過か定かではないが、部屋全体を照らすもので、蔭のほとんど無い明かりである。
 夜になっても昼と同じような生活ができ、雰囲気も昼と違わない。このような証明になれてしまうと、海外の影のある照明に何か違和感を感じていた。
しかし、生活するのに必要な明かりは手元が見えれば良いのであり、煌々と部屋全体を明るくする必要はない。まして事務作業をするのでもなく、ゆっくりと休むための部屋ならもっと暗くても良いのではないだろうか。
 必要なところに、つまずく恐れのない程度の明かりが灯っていれば、手元を照らすスタンドのような明かりがあれば困ることはないだろう。影がある照明の方が空間に深みが増し、気持ちも落ち着いてくる。LEDの目を刺すような白色光ではなく、電球色といわれる橙色めいた明かりの方が温かみがある。
経済が急速に発展していた頃、子どもたちの目を守るために、「勉強机の蛍光灯を灯したら部屋全体を明るくして、明暗差を無くし、目を疲れないようにしましょう」というコマーシャルがあった。考えてみると、勉強机の蛍光灯はそれほどに強烈な明るさだったのだろうか。明暗差で目が疲労するほど部屋が暗かったのだろうか。明暗差で疲れないようにとの配慮がいきすぎていたように思える。経済の発展と期を一にしていたので、消費拡大という波に飲み込まれていたように思うのだ。
 天井のシーリングライトを消し、いくつかのスタンドライトを灯してみた。部屋の中に影ができ、ものが立体的に見えるような気がする。生活するのに困ることはなく、必要な場所に明かりを灯せば事足りる。気分的にも落ち着いた雰囲気になる。ちょうどキャンプで焚火を囲んでいる気分である。
 夜を敢えて昼と同じようにする必要はない。夜は夜の特性を楽しめばよい。暗いというのは夜の特性であり、その特性を生かす方が生活が豊かになるのではないか。

 つや消しをしていないガラスの電球の中に、電球色LEDで作られたフィラメント状の発光部がある装飾電球を手に入れた。そのままではさすがにLEDの発光が目に入りまぶしいので、和紙でシェードを作り、被せた。LEDなので発熱はわずかである。周囲への十分な明るさがある。部屋の中に吊し、天井のシーリングライトを消して、明暗のめりはりのあるの明るさを楽しんでいる。

セグウェーツアー

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セグウェーツアー
先日、武蔵丘陵森林公園でセグウェーのガイドツアーに参加した。
これは、セグウェーという、直径30cmほどの2輪の間にステップがあり、その上に立って重心を移動させることでは前後、左右に自由に動くことの出来る乗り物を使い、ガイドさんが鳥や植物など園内の自然を説明してくれるツアーだ。
事前にインターネットで申し込みをし、当日は30分ほどセグウェーの乗り方についての講習を受け、その後2時間ほど園内を散策する。散策と言ってもガイドさんの後を一列なって着いていくのだが、セグウェーの操縦ハンドル手元に、ガイドさんの声が伝えられるスピーカーが付けられているので説明を聞きながらの散策となる。
園内は広く、徒歩で回るのは結構きついのだが、この乗り物を使うことで坂道でもすいすいと登ることができ、草花の中も不安なく動くことができる。スピードは重心の傾きかたで調整することができ、広い道では自転車と同じくらいの時速12㎞以上も出すことができた。また、他の人がいる場所では人が歩くよりもゆっくり動くこともでき、ツアーをしているうちにセグウェーが身体の一部のように、自由に方向も速さも思いのまま動かせるようになる。重心の移動で膝の部分に力が入るのか、多少疲れは感じるが、長距離を歩いたという疲労感はない。
このセグウェー、乗るだけでも面白いのだが、日本では公道での使用は認められていないようだ。現在、公園などの施設を使ってツアーが行われているという。
秋の一日、ほんの2時間ほどだが赤いじゅうたんのようなケイトウやソバの畑を見て、ダリア園では大輪の花の中を散策し、ハロウィン用の飾りつけを楽しみ、途中では草木染の解説を見ながらお茶とお菓子の休憩をし、園内をほぼくまなく散策することができた。ガイドさんの話から、いにしえのこの地域にあった鎌倉街道の話や自然保護活動についての蘊蓄、ガイドさんの地元の北海道と関東の自然の様子の違いなど盛りだくさんの内容で楽しいひと時を過ごすことができた。今回は2回目の参加だったが同じ公園でも全く異なった体験ができるので、また機会を見て参加したいと思っている。

MTR5B トラブルシューティング

 

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 それは次のような症状から始まった。
 いつものように17mバンドに出ようとスイッチを入れると、20mバンドの表示になっている。スイッチの設定を確認すると18MHzの位置になっている。スイッチの接触不良が起きてしまったのかと、ポジションを変えてみるが表示の変化はない。本来、このスイッチを変えることで他のバンドに設定し直すことができるのだが、全く動作しない。受信のノイズは聞こえているし、液晶のバックライトも点灯している。
 ケースを開けて基板の点検をする。特に異常は見られない。スイッチを何度も動かしてみるが変化がない。その内に、液晶の表示が消えた。聞こえていたノイズも聞こえなくなった。バックライトは点灯しているので電源は供給されているようだ。
 故障してしまったと覚悟し、どのようにメーカーに連絡しようか考える。何しろ、USAからの個人輸入である。修理保証などと言う契約はしていない。とりあえず、休憩。
 風呂に入っている時、ふと閃いた。MTR5Bは時計機能があるのでバックアップ電池が入っていたはずだ。故障の症状が時間経過と共に重篤になってきたのはコンデンサや電源関係が考えられる。このバックアップ電池が消耗しているのではないか。
翌日、適合する電池を探し出し、交換した。みごとに、復活したのだ。この電池が消耗し、メモリーのバックアップができないため、マイコンがデータを読み込むことができず、さまざまな症状が出ていたようである。

 機器の故障というと、どうしてもデバイスの破損や回線の不具合を考えがちである。マイコンがなかった時代はすべてそれが原因だった。しかし、今ではほとんどの機器にマイコンが入っているので故障に対してもソフトウェアの不具合を考慮に入れなくてはならないのだ。
 最近報道されたいくつもの事故。地震の後の大規模停電。鉄道の運行が停止する事故。ATMが使えなくなる事故。どれもソフトウェアの不都合が原因となっている。規模こそ違え、今回の故障もマイコンが正常に機能しないことから起こるものだった。時代は変わっている。トラブルシュートも視点を変えて行かなくてはならないという教訓である。

 

 

To do

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 To do やりたいこと、やらなくてはならないこと。布団の中で、そろそろ起きなくてはと思いながら考えていることだが、これがいくつも浮かんでくることは幸せなのかもしれない。
 体調が優れなかったとき、起きようとしても意欲が沸いて来ず、ひたすら眠りたいと思うばかりだった。健康と気力は比例している。健康であるからこそ気力が増し、世界が広がっていく。痛みがあったり、体力が衰えたりしていては気力も失せてしまう。
 このところ痛みは残り分断睡眠になってはいるのだが、起きる前にTo do List にいくつかのことが浮かぶようになってきた。散歩であり、ネット漂流であり、もの作りやモールス通信などである。ネットでポッチと押してしまい、買い物をすることも増えてきた。
 その一つが写真のものである。QCXトランシーバーキット。すでに4台を組み立てているが、国内で使えるバンドの中で唯一残っていた20mバンドのものである。発注から1週間ほどで届いた。以前は数か月待たされたのだが、もう予約待ちの状況は改善されたようである。
 今回の購入の目的の一つがRev3の変更点を確認することである。これまでRev1,2については翻訳したものをホームページに公開してきたが、これにRev3の変更点を入れたいと思ったのだ。私の技術的興味からだけの理由だが、意欲が沸いてきたことの証なのだろう。

 もう一つ始めたのがブログの製本化である。誰かに読んでもらうためではなく、自分の記録として書き続けてきたブログだが、データとしてあるのではなく、形あるものにしてみたくなった。製本サービスを利用し、ブログをそのまま製本するつもりだったが、編集を始めてみると分量が大きすぎて1冊には収まらないことがわかった。取り合えず数年分を2冊の分冊で製本し、現在進行の部分については後日まとめることとした。
 更に意欲が沸いてきた。ブログの内容をカテゴリー別に整理し、本にすることである。

 道楽と言ってしまえばその通りだが、To doを増やしていくことが人生を豊かにするものと考える。お小遣いはどんどん減っていくがTo doが思い浮かんでくることの幸せを楽しみたい。

余韻を楽しむ


 

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   毎朝仏壇に手を合わせる。燈明を点け、お茶とご飯、水を供え、線香をあげてお鈴を打つ。静かに手を合わせご加護に感謝することから一日が始まる。このお鈴の打ち方だが、忙しなく鈴の縁を上からチンチンと叩く人もいるが、もったいない気がする。お鈴は反響よく澄み切った音がするように作られている。その音の余韻を楽しみたいものである。私は棒を縦に下げた状態で軽く持ち、軽く当てるようにしている。お鈴自体が反響を繰り返しいつまでも心地よい音が続く。音がほぼなくなったころにもう一度棒を触れさせ2回目の音を聞く。その音を聞きながら手を合わせ、心を鎮める。一日のほんのわずかな時間だが、心豊かなひと時である。

 モールス符号で通信をするとき、通信の最後で「GL GL ES CU E E」と打つことがある。Good Luck See You という意味であるが、その後にE E と打つ。Eは短点一つであるのでトン トンという感じだ。なぜこのような風習が生まれたのか定かではないが、通信の余韻を残して終わるために行われているようである。
 短点を2つ打つだけで気持ちが伝わるのだ。文字列だけで終わっても通信は成立するのだが、通信が終わり名残惜しいという気持ちを表すのがこのトントンである。実際の通信でもよく聞くことがあるが、儀礼的にトントンと打つ場合にはあまり気持ちが伝わらない。トンと打った後、余韻を残しながら次のトンを送ることで名残惜しさが伝わるようである。

 無があるからこそ実体がある。哲学的なことではなく、余韻を生かすことが大事なのではないだろうか。この世に生を受け僅かな時間を過ごしているが、その僅かな時を心豊かに過ごすためには無が大事なように思う。

台風24号

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   列島を縦断するように通過した台風24号は、当地では大雨というよりも強風が猛威を振るった。10月1日夜半には強い風が雨戸を絶え間なく叩き、吹き荒れる風の音に恐怖を感じるほどだった。ただただ家の中で台風の過ぎ去るのを待つほかなく、外の様子を見る術もない。3時ころになって風の音も少し収まってきたが、そのまま朝を待った。
 明るくなり、家の周りを確認したが、たくさんの木の葉の欠片や引きちぎられたポスター、木片などが散らばっていた。わが家では幸い大きな被害は無かったが、それでも7~8cmの幹の月桂樹の木が根元から折れ、植木鉢がいくつか破損していた。鉢植えの草木はさまざまな方向の風に煽られたようで、みな倒されている。アンテナ線のリードが切れ、垂れさがっており、玄関前の置いていた陶器のこびとの置物が真っ二つになっていた。
 ニュースでは各地で大きな被害が出ているようで、交通機関への影響や停電が起きているという。海水温の上昇などの影響による荒々しい天候がまだまだ続きそうである。
 香りのよい葉の月桂樹ではあったが、根元から折れてしまったのであきらめるしかない。小さく切って処分することにする。荒れ果ててしまった草花や樹木の枝を切ったり、家の周りの小さく砕けた木々の葉や木切れ、紙切れの清掃をしたりするのに2日かかってしまった。こびとの置物は処分するのに忍び難く、修復を試みる。接着剤で張り合わせ、組み上げるが一部足りないところがある。穴の開いた状態ではあるが、ほぼ以前の姿に戻すことができた。

 度重なる災害で、備えを進めているが、いつも「想定外」なことが起こる。そもそも災害は日常と異なることが起き、被害が出ることである。日常の範囲を超えることから非日常が生ずる。備えは想像力であり、応用力であろう。思いもよらないことが起きても、日常を取り戻すべく前に進むことである。
 日本列島は災害列島と呼ばれたこともある。いくつものプレートがぶつかり合うところであり、大海原と大陸に挟まれたところである。私達の先人は幾多の自然災害の中を創意工夫で生き延びてきた。このところの度重なる自然災害によって心を砕かれそうになっているが、先人たちのことを思うとき、この程度では打ちのめされないという勇気が湧いてくる。

 我が家の被害がほとんどなかったからそんな綺麗ごとが言えると言われそうだが、割れてしまったこびとの置物を修復し、その笑顔を見ていると、自然災害に対しての気持ちが奮い立ってくるのである。